平野雅彦が提唱する情報意匠論| 脳内探訪(ダイアリー)

平野雅彦 脳内探訪

『明日の神話』を神話で終わらせないために

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 東京都内のある格別な空間で、村田慶之輔さん(川崎市岡本太郎美術館館長)とお話をさせて頂いたことがある。岡本太郎さんが亡くなってそう日も経っていないころだったと記憶する。
 エキスポ70で丹下健三設計(少なくとも丹下氏は、そのころ日本でもっとも偉大な建築家のひとりとされ、逆らうものなどだれひとりとしていなかった)の大屋根に、太陽の塔を建設することで穴を開けさせたその執念の戦いの現場を改めて詳細にうかがうと、自分のもの作りに対する中途半端さを深く反省させられた・・などという単純な話ではなく、その間に横たわる、いかんともしがたい大きな差異に自然と涙があふれ、呼吸することすら苦しくなって、話の合間に何度もトイレにたってしまったことを思い出す。

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 この太陽の塔と時同じくして、メキシコのホテルのために制作された「明日の神話」という壁画(縦5.5㍍×横30㍍)は、けっきょく現地では日の目を見ることもなく長い間行方不明になっていた。それが岡本敏子さんを団長としたプロジェクトチームの執念で、現地の資材置き場から発見され、日本に戻ってきて展示されることとなった話は多くの方がご存じであろう。
 実は、この壁画を静岡県焼津市の団体が「我が市で引き受けるべきだ」と市民運動が起きていることを以前ニュースで知った。どうしても我がまちに!と名乗りを上げた理由は、1954年3月、南太平洋マーシャル諸島でアメリカが水爆実験を強行したことで被爆した焼津船籍・第五福竜丸がこの壁画に描かれているからだ。
 これを受けて、焼津市長は、不用意に入手しても展示する場所も維持する予算もないと及び腰。ことの顛末をわたしは知らないが、この壁画を使って何をどうするか、その青焼きが市民の側にもきちんとあるならば、市は肝を据え、市の財産として購入したらどうだろう。それは単なる絵のコレクションを一枚増やすのとはわけが違うからだ。美術というのは一期一会でもある。そうして、そのためには、誘致運動をしている団体がプレゼンテーションを焼津市にだけ向かって実施するのではなく、もっと広く、継続的にやり続けることが重要だ。
 それはエキスポ70の大屋根に穴をあけさせた岡本太郎と、「明日の神話」を発見した岡本敏子、両氏の執念を真似ることであり、彼らに対する敬意の表明だとおもう。

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