朦朧体 〜横山大観の月
同じに日に、学生の企画書を6本、社会人の企画書を面談形式で11本、仕事でチェックした企画書3本、合計20本を品定めした。それはまるで千本ノックであり、極真空手の百人組み手のようでもある(ともにやったことはないけれど)。そこから瞬時に彼らが伝えたいことをつかみとり、アドバイスをするのだが、最後の方は正直に言うと朦朧としてくる。
そういえば、横山大観の朦朧体はこのように極限状態?に自分を追い込んだところから生まれて来たのかもしれない。もちろんそれは冗談だけれども、大観の「上弦の月」という作品、あれはどう観ても下弦の月ですな〜。ことあれかしで指摘するのではない。しかつめ顔で知ったかぶっているわたしも実はかつて父親に耳打ちされて知っただけのことだ。
わたしは父親に向かって、少しうろたえながら、「あれは南半球の月でござる」と大観先生にか代わって苦しい反論を試みたのだが、いや、どう見ても梅の大木や小さく描かれてる人物がアジアの景色なのだ。大家の爪の先のほくろを数えるようなことをしても、別段うれしくもないけれど、一応先日、月の講座をやったばかりだから、書き留めておく気になっただけのことだ。
あ〜、まだ朦朧としているな〜。酩酊しているわけではない。それは単に寝不足のせいである。