ピクニックにクレジット 〜日本の何が変わったか
なぜわたしたち日本人は、物見遊山をピクニックと言い換えずにはいられないのだろう。
なぜわたしたちは、日本食がいいぞ!と言い続けることができずに、マクロビオテックと言い換えるのだろう(語源はギリシャ語のマクロビオス、「偉大なる生命」「永遠の命」)。
もともと日本にある生活習慣とか生活思想とかしきたりを残したまま、そこに思考や思想の「上書き」するのではなく、新しい横文字文化へと「一括変換」してしまう。だから、ちょっと流行ってすぐに新しいものに取って代わられる。いつの間にかそんな現象にすらなんの抵抗ももたなくなった。もちろん、日本や日本語の歴史そのものがそのような道を歩んできたことは浅学のわたしでも多少は知っている。国風文化の復興を祈願した鎖国ではあるまいし、海外文化を遮断することに意義を感じているわけでもない。ただし、昨今の風潮はあまりにも無自覚に新しいものに飛びついているようにおもえてならない。
かつて月賦をローンとかクレジットと言い換えることで、他の回路にスイッチが入り、だれもが気軽にお金を借りられるようになった。抵抗なくお金を借りられるようになって便利になったが、同時に新たな問題も抱えるようになった。例えば等身大の生活以上の暮らしを先回りして手に入れられるようになって、我々は「分相応」ということを考えなくなった。平気でエルメスやらヴィトンを小脇に抱えてルンルンしている。そうしてある一団は人としての品格を落としているようにもみえる。ブランドに罪はない。そういった暮らし方に品がないだけだ。せめて、ブランドが真の意味で似合う人格に自らを高めるべきである。
まずは自分の問題として考え、お正月ぐらいはきちんと「日本」を感じたい。国立博物館に初詣に行こうかな。しかし、国立博物館のポスターのキャッチ「初詣」が「初もうで」と平仮名表記になっているのが気になるな〜。