平野雅彦が提唱する情報意匠論| 脳内探訪(ダイアリー)

平野雅彦 脳内探訪

良寛・KAWABEの神楽坂

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 koneeta先生の粋な計らいの中でいただいた手作り料理の次の日には、もう赤いきつねである。何とも情けない。それにしても師走のせわしない時間をやりくりながら、みんなで顔を会わせて過ごす時間というのは、本当に良いものだ。何よりも贅沢ではないか。koneeta先生に感謝である。

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 今年の大きな収穫のひとつはKAWABEさんという方と知り合いになったことだ。KAWABEさんとはじめて名刺交換をしたときにすぐにピンときたのは、彼の名刺が良寛の直筆を並べ替えてつくられていたことだ。
 わたしは父の影響もあって良寛の書が大好きである。中でも「いろは」の書は、わたしが日本を考える原点ともなった。今連載している「色はにほへ都」というコラムhttp://www.s-liv.com/kiji/iroha/index.htmlは、良寛を意識して名付けたものである。
 その書は何とものびやかで、無限に広がっていて、それでいてギリギリのところで拡散しないで収束している。たった数文字の中にアンビバレントな感覚が潜んでいるのだ。
 高校の習字の授業で、わたしは冬休みの宿題を、良寛をそっくり真似て提出した。こそこそ真似たのではない。確信犯だった。さっそくO先生がわたしの書を見るなり「良寛ですね〜。良いものは徹底的に真似なさい」と云ってくれた。そうして「真似ながら良寛という人をどう思ったの?」という質問が続けざまにあった。なんと答え方はまったく覚えていないが、わたしの書には朱の丸が三重に輝き、教室のうしろにはりだされた。もしもあのとき、O先生が、「こらっ、真似はいかん!」と怒ったり、良寛の書を知らなかったりしたら、わたしも良寛の存在を過去という時間の中でとっくに手放していたかもしれない。
 ちなみにKAWABEさんのエッセイは今発売の『東京人』一月号の冒頭に「さよなら、わたしの神楽坂」として寄せられている。彼の弁を借りるなら、神楽坂「パウワウ」が再開発というな名の下に姿を消してしまったのは、何とも象徴的な出来事で、まちの大きな損失だと言える。あの神楽坂の「いろは」感覚が「良寛・KAWABE」の文章の中にこそ蘇っているのが少しの救いである。

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