込み上げてくるもの 〜島崎藤村『夜明け前』
木曾路はすべて山の中である。あるところは岨づたいに行く崖の道であり、あることは数十間の深さに臨む木曾川の岸であり、あるところは山の尾をめぐる谷の入り口である。一筋の街道はこの深い森林地帯を貫いていた。
ご存じ、島崎藤村の『夜明け前』の書き出しである。明治の夜明けを暗示させる語り出しとしてはこの上ない出来映えだし、仮に明治前夜のドキュメンタリー映像があったとするなら、そのナレーションとしても希有なものとなったであろう。これは小説でありながら歴史語りなのだ。事実、この作品では藤村の他のどれよりも彼自身が歴史語りのナレーターに徹しきっているようにもおもえる。読めば読むほど藤村のそういった目線が見えてくる(主人公は、藤村の父だと云われている)。
わたしは、もちろんこの時代の木曽路を歩いたことはない。そればかりか、もっと正直に言えば、木曾路へ足を運んだことすらない。
だが、だが、だが、である。この冒頭部分を読み返す度に必ず、胸の奥からぐぐぐぐっと熱いものがこみ上げてくる。たったこの数行がそうさせるのだ。この感情をどのように説明すれば良いのだろう。私はその術を知らない。もしかしたら、明治以降に生まれた日本人の、何か歴史の原風景のようなものが、この文章によって喚起されるのかもしれない。
そういった意味で、これはいち小説の書き出しに納まらない。名実共に、日本の夜明けのナレーションなのである。