平野雅彦が提唱する情報意匠論| 脳内探訪(ダイアリー)

平野雅彦 脳内探訪

グロバールスタンダードで日本が益々語れない

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 1960年生まれのわたしの場合、ローカルで育ったせいもあるかもしれないが高校、大学、社会と、そのどのシーンを切りとってみても「政治と宗教」を公で語ることが一種独特のムードの中でタブーとされてきた。そういうことは、気の置けない仲間だけで輪になって話すものだという雰囲気が常に時代の中に蔓延していた。いやまてよ、仲間が集まった席でも「政治政党の問題は、プライベートな席には持ち込まない方がいいぞ」と注意を促された。公では語れない、プライベートでも語れない。ならばどこで話をしたら良いのだろうと思い続けてきた。世の中は若者にそれらを詮議する場も与えなかった。
 その結果、我々の年代(「わたしは」と語るべきか)は、例えば団塊の世代に比べて圧倒的に「日本」が語れない。日本文学でもやっていないかぎり、日本に対する実感がまったく伴わない。パトリオリズムとナショナリズム、その両方がうまく語りわけられない。ずっとおざなりに、そうしてなおざりにもしてきた。そんな思考停止状態のまま今日まで息を止めたまま暮らしてきたようにおもう。子象のときに足を鎖で縛られ、大人になってから鎖を外されても、その鎖の長さをこえて行動できなくなる、その思考版とでもいったらよいのだろうか。    
 湾岸戦争に勝利した共和党のジョージ・H・W・ブッシュだが、1992年「チェンジ・ナウ」を掲げ、賢しら口を叩いたクリントンに大敗した。そうして世界の中で経済復興にひとり勝ちしたクリントン政権がインペリアイズム=アメリカイズム=グローバリズムを打ち出すと、それが一気にグローバルスタンダード化した。政治も経済も同様である。
 この時期、欧州もひどい経済状況だった。日本はといえばバブル崩壊という瑕疵を抱え、その負い目なのかズルズルと米国に追随する。そんな中、米国は情報の売買から得た金をヘッドファンドにして世界経済を牛耳った。「(アメリカの)このスタンダードに世界中は歩調を合わせるべきだ」という度し難い論理である。60年代に既にアメリカイズムに洗脳された団塊の世代(未だ呪縛の中)と我々の年代が妙に共鳴しあって、更にグローバリズムの掛け声の中に巻き込まれていく。極端な言い方をするならば、我々はそれをゴスペル(神言)として聞いたのである。そうして益々日本が語れなくなっている。
 例えば仏教が語れないということは、仏像が語れないということだし、神社仏閣が分からないと言うことだし、日本画や日本思想はお手上げだということだ。
 先日ラジオから、あるアナウンサーがアメリカ人ゲストと話をしているのが聞こえてきたので、しばらく聞き耳を立てていたのだが、あまりにもおおざっぱで頓珍漢な日本を語っているので、さすがの1960年生まれのわたしも開いた口がふさがらなかった。
 そうして思った。まてよ、この日本が語れないのは、60年生まれのわたしだけではないのかもしれない。謙遜なんかしている場合ではない。しかあれど、問題は那辺に有りや。あれやこれやと考える。臍たえがたし、である。

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