空き部屋をつくっておくということ 2007/11/21
バタバタの日々である。あまりにもバタバタしていて羽が生えそうである。きっと、この状態が数万年続いたら、いや、数十年足らずでわたしは大空を我物顔で滑空する生物に進化しているに違いない。最近ではその減らず口がクチバシ状に変形して来ていることすら実感する。中島敦の『古譚・山月記』の李徴にでもなった気分である(古譚は『文字禍』も良い。図書館の本に押しつぶされる話だ。必読)。
書きたいことが山のようにある。海のように広がっている。が、きょうは敢えてひとつだけ記しておく。
満井就職支援財団主催の奨学生との交流会が東京・日本橋であった。多摩美術大学、慶応義塾大学、同じく院生、東京大学の学生たちと三時間びっしり話し込んだ。
この会の何が良いかといえば、とにかくサイズが良い。今回はコーディネーター役のUCHIDAさんとわたし平野、奨学生四名の総勢六人のスモールサイズ。ひそひそ話もできる距離である。もう一つ良いのは、このサイズの雑談(ぞうだん)というのは、参加者が自分の言葉できちんと考えられるということだ。アウトプットはたとえぎこちなくとも、自分の頭で考えるということだ。案の定、参加してくださった奨学生のみなさんから、わたし自身が多くを学ばせて頂いた(まずは何人もの財団役員の中から一知半解な講釈しかできない平野の回を選んでくださってありがとう、と云いたい。だからこそ、わたしも準備を整えて参加するのです)。
談柄は「膨大な無駄は人生を豊にする」。その中で今回もわたしが話をしたことのひとつが、「イヤな仕事(こと)を引き受けなくてすむ方法として、常にやりたいことだけでいっぱいにしておく」ということだ(このテーマ「無駄」とか「やりたくない仕事」といった言い回しは、常に二重性を孕んでいるメタ概念だ)。そう、そこで話し忘れたのが「三つ星ホテルの法則」とわたしが名付けているものだ。その法則を簡単にここに記しておく。参考にして欲しい。
ビジネスホテルというのは、日銭を稼ぐことが主な業務で、とにかく日々部屋を予約でいっぱいにしておくことを最優先に考える。一部屋でも空いていることが経費の無駄につながり、イコール損失なのだ(それを責めていない。そういう業態なのだ)。
一方、三つ星ホテルはどうか。常に部屋をいっぱいにしておいたら、いざVIPが予約を入れてきたらどうするか。お得意様に対して、空いていません!では許されないのだ。そのため三つ星ホテルは常に何部屋も空き部屋を用意しておくのである。これは経費や日銭を稼ぐといった視点でいえば非効率的な手段以外の何ものでもない。いや、そもそも視点が違うのだ。これはリスクではない。「空けておくというサービス」だし、「もてなし」なのである。
さて、この二つのホテルの業態を頭に入れたら、これを自分の生き方に重ねてみるのだ。先にわたしは「常にやりたいことでいっぱいにしておく」といったけれど、本当に時間も気持ちもがんじがらめにしておいたら、突発的に入ってきた「おいしい話」に乗れないではないか。だから常に空き部屋、空席を意図的に時間や心の余裕としてつくっておくのだ。結果的に何も入ってこなければ、それは自分のやりたいことに使えば良い。この空き部屋をどういったスパンでスケジュールに組み込むかは、個人や組織によって違うから一概には言えない。それから本当においしい話かどうかは自分で見極めるしかない。主催者は「おもしろいから来て、来て!」というに決まっている。
「来週、キムタクがうちに来るんだけど、どう、一緒しない?」
いつ平野があなたにむかってそう呼びかけるかわからない。空き部屋という時間を常に意識的につくっておくこと、自分自身が生き方の三つ星ホテルになること、それが重要なのだ。
そうそう、交流会の席でも云ったけれど、中途半端なオリジナリティとかアイデンティティとか自分自身なんて気軽に云うのもやめよう。必要なことは差し出されたものをぱくっとくわえないで、まず「問いを問う」態度なのだ。
で、その空室、空席を使って足を運んだ小さな展覧会 INAX ギャラリーの「石はきれい 石は不思議展」が格別だった。わたしの石も展示したくなった。次の「バードハウス展」もおもしろそうですよ。そうそう、これら一連の展示は、何と言ってもサイズが良いのです。何をやるにも「サイズ」を意識しないといけません。