あのひともカレー好き
◆アーネスト・フェノロサと岡倉天心が法隆寺夢殿を訪れたのは明治17(1884)年のことである。驚くべきことに、ほとんどの日本人は、この年まで国内にこれだけの秘宝秘仏が眠っているとは想像もしなかった。それどころか、京都や奈良の宝物のほとんどを知らなかった。すなわちこの二人の現地調査が、近代美術の幕開けとなったのである。
そののち、二人は欧米美術の視察に出かけ、帰国後、狩野芳崖の「非母観音」をこれぞ日本国家の宝とし、東西の美を融合した作品だと高く評価した。そうして、明治22年東京美術学校を創立。横山大観、菱田春草ら、そうそうたる賛同者を得て・・・だが画壇からは朦朧画と非難され・・・海を越えて『茶の本』を出版・・・このころ立て続けに新渡戸稲造の『武士道』、内村鑑三の『代表的日本人』が海外で出版され・・・云々。と、まあ、歴史を語るつもりで書き出したわけではないが、ついつい筆が滑空する。
要は、ルネッサンス時代にローマが発掘される以前には、ギリシア・ローマの文化はほとんどの人々は知らなかったということだ。発掘・評価によるパラダイムチェンジはいつ起きてもおかしくない。
◆社会学者で評論家の清水幾多郎のエッセイ『この歳月』(1976 中央公論社 絶版)を電車に揺られながら読んでいたら「カレー中毒」の項を見つけた。やっほー!
「カレー中毒という話はあまり聞いたことがないが、やはり、私は少しカレー中毒にかかっているのだと思う。その証拠に、幾日目か正確に計算したことはないけれども、或る時期が経つと、滅茶苦茶にカレー料理が食べたくなるのである。食べると、それで気が済んでしまうのだが、兎に角、そういう発作が幾日目かに必ず起きる。 発作が起きると、私は半日を台所で潰してしまうことになる。云々(あまから 昭和三十五年一月号)」
身近なひとはご存じだと思うが、わたしも間違いなくカレー中毒だ。今週は既に七食がカレーである。そうして明日、大学の授業のあとは天変地異が起きない限り、予定通り学食で特製?インドカレーである。「滅茶苦茶」「中毒」「発作」的カレー好きな清水幾多郎が別の意味で身近になった。
たっぷりと準備をして授業に出かけたら・・・そうだ、大学祭で休講だった・涙。故にカレーもお預けだ(11月16日記)
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