守・破・離
陶淵明ではないので、なかなか現世で桃畑に迷い込むことがない。桃源郷や、いずこ。
学生に無印良品の一冊100円のノートをプレゼントしたら、実にうまいこと使っているので驚いた。notationは整理術の要だ。つくり過ぎも目的と手段が逆転する場合があって良いことばかりではないが、ノートをうまく作るコツを覚えると学習は格段にたのしくなる。この歳になってもそうなのだから、たぶん間違いない。at glance、そういうこたちは手帳の管理(すなわち時間管理)もけっこう上手だ。参考になる。一度わたしの授業を受けてくれている学生のノートを(抜き打ちで)回収してみたい。多岐にわたるわたしの話をどのようにnotationしているのか、ひじょうに興味があるのだ。
○福田恒存を読む。なぜもっと早く読んでおかなかったのかと後悔する。三島の『仮面の告白』、サルトルの『嘔吐』のときにもそう実感した。読書には「読み時」というタイミングがある。読んだときが読み時だ、という意見もあるだろうが、それは少々乱暴な論理だ。読み時とは、言い換えるなら「入門」のタイミングということである。昨今、入門とはゴルフ入門とか英会話入門といった具合にハウツーに使われる。今こそ、門に入るということを、問い直したい。その視点と態度は、論語にある。
※今、福田和也は読まれても、福田恒存を読むひとはいないだろう。証拠に、文庫では講談社芸術文庫の一冊を残してあとはすべて絶版である。
○女か男かの前に、ひととしていかに生きるか、まずそこを自分自身に問いたい。
○目薬とガスター10とEVEにお世話になる日々。
○ひとは、自分の信じているひとの手法こそが常にいちばんだと思い込んでいる。別の場所に移っても、そこで以前川渡りに成功した船で新しい川を渡ろうとする。そこをなかなかくずせない。したがって、何かの拍子で揶揄されたと思い込んでしまうと、自ら閉鎖的になる。守・破・離こそ、肝に銘じたい。
○まだ詳しく話せないが、ある書物空間の企画を頼まれた。これはおもしろくなりそうだ。ふふふ。