平野雅彦が提唱する情報意匠論| 脳内探訪(ダイアリー)

平野雅彦 脳内探訪

平野流繁忙之術

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 いつもの通りかなりハードな状況である。読みたい本はたまる一方、気になる映画も全く観ている暇がない。こうしてパソコンに向かいながら、Podcastでさまざまな講師陣の講演を聞くのが昨今のささやかな楽しみである。それにしてもネットの四通八達は有り難いものである。ところで忙しいと口にするとやはり「心を亡くすのでしょうか(笑)、KAMEDAさん」。でも、いいんです。わたしはやりたいことで常にいっぱいにしているから。ウソまでついて仕事を断りたくないし、そんな偉い存在でもないしね。で、わたしがたどり着いたのは、「常にやりたいことでいっぱいにしておく」という方法だ。だからやりたくない仕事は、ウソをつかず正々堂々と断れるのである。 
 と、先日こんなことをある交流会で学生たちに話をした。すると、学生の振り返りシートに「学生の身分でやりたいことだけをやっていてはいけないのではないか。やりたくないこともすすんでやらなければならないのではないか。それは何某かを手に入れた平野の特権ではないか」といった内容のコメントがあった。なるほどね、確かに古諺もそんなことも云っている。
 わたしの言葉足らずだったせいで、この発話者はあるとり違いをしている。まず、わたくし的には学生はやりたいことだけを一生懸命やって欲しい、と伝えたかった。それが学生に与えられた特権だからである。続けざまにいえば、わたしが云う、やりたいことは、たのしいだけとは限らないということだ。 
 以前にも書いたが、わたしは自分が学びたいことには時間とお金を惜しまない!という態度でいる(偉そうですみません)。そのために、受講料五百円、交通費三万円なんて連続講座にも度々参加してきた。とにかく誰も知らない学びの場へ自分自身を放り出し、そこで大恥をかいてくるのだ。わたしの場合、名刺交換をしても大会社の○○株式会社でござる!!△△大学◇期卒業なんだぞ、えっへン!といった前提がないので、とても気が楽である。へーきで恥をかける。その日その場で発言したことだけがわたしの評価である。たったそれだけのことである。そうしてわたしは打ちのめされるのだ。みんなの知識の量と経験と考え方の多様さに圧倒される。
 そういった講座の帰りには、決まって帰りの新幹線の中でアイデアが湧き出し、意味もなく座席からすっくと立ち上がる。そうして短兵急に行動に走るのだ。こんなのんびりしていてはいられないぞ!と。
 要は、やりたいことというのは常に次のやらなければならないことを芋づる式に引っ張ってくる作業だし、次の知らないことの扉をこじ開ける行為に他ならない。こういった考え方は過酷な作業を強いられる。こんな辛いことはない。でもそれをしないと、自分は自分でいられない。自分を自分たらしめる行為は、まさに未知の世界へ「わたし」を放り出すことなのだ。こう云っておきながら最後にひとことだけ付け加えておきたい。わたしには、外的行為から「自分探し」なんて妙ちきりんな作業をしている時間は一切ないのである。

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