平野雅彦が提唱する情報意匠論| 脳内探訪(ダイアリー)

平野雅彦 脳内探訪

唖然、呆然、愕然   2007.10.24

densya



 新宿高島屋のジュンク堂に迷い込むと、その書物の多さにただただ唖然とする。思想のコーナーなどまさにラビリンスで、人類の吐き出してきたその思考の過程に圧倒される。ひとつのコーナーで小さな本屋一軒分の量がある。死ぬまでにあと何冊の本が読めるのか、そう考えると、呆然とするばかりだ。

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 あるエッセイを読んでいて愕然した。その筆者が本屋で本を購入したところ、そこにうっすらと鉛筆で線が引かれていたというのだ。しかも合計百カ所以上。古本屋の本ではない。歴とした新刊屋で購入した本に、である。そこで筆者は推測する。これは新刊屋の経営者が、「新古書店」の半額本や百円の投げ売りから程度の良い本を「仕入れ」てきて、取り次ぎ(問屋)に返品するという悪質な行為の証拠だ、と。それは差額をポケットに仕舞い込むという犯罪行為だ。

 普通、本屋というのは、一部岩波書店に代表されるような買い切り制度がない限り、返品ができる代理販売である。そうして取り次ぎは、返品された本のカバーを掛け替えるなどして、きれいな状態にして再度流通に乗せる。そこで起きてはいけない事件が、このところ起きていると指摘する。もしかするとその新刊本屋が、直接自分の店の棚に並べたのかもしれない。そうでもなければ、こんなこと、起きるわけがない。それとも本屋の小僧が自宅で売っている本をこっそりと持ち出して、それを販売品だと忘れて線を引いて再び棚に戻したとでもいうのか。いや、何が起きてもおかしくない。

 伝統300年以上の老舗が消費期限切れの餅とあんこを選り分けて別ルートに乗せて販売したり、豚肉を牛肉と偽って平気のへーだったり・・・それは食品が腐っているからいけないのではなく、それを提供する胡乱者の「ビジネス」が腐っているからいけないのだ。詭計ばかりに智慧を働かせる経営者。またそれをうすうすわかっていながら、やみやみだまされる「消費者」も悪い。そもそも「消費者」なんて言われ方をして無自覚でいるから悪いのだ。まさにいま「ビジネス」の現場は酩酊状態だ(こう書くと必ず、まじめにやっている会社だっていっぱいあるぞ、と青筋立てる者が出てきて議論を曖昧にする)。

 仕事をビジネス、野遊びをアウトドアと呼ぶようになり、そうして給料が働く者の手を一度も通らず、直接銀行へ振り込まれるようになってから、すっかり日本の働く現場が変わってしまった。

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