平野雅彦が提唱する情報意匠論| 脳内探訪(ダイアリー)

平野雅彦 脳内探訪

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 和本を平野にただで譲っても良いという奇特な方が現れたので、あるお宅にお邪魔した。一瞥するに二百タイトル、総冊数三百五十冊以上はあるだろうか。それほど古いものはなく、珍しいものも見られないが、医者の家系の汗牛である、全体でみればそこそこの充棟だ。もっとゆっくり拝見したかったが、テレビの本番があるので、引き取りはまた改めるということで、わずか十分足らずでその場をあとにする。
 またほぼ同時に別の方からの連絡で、戦中戦後の号外が五十枚程度あるとのこと。こちらも引き取らせてもらうこととなった。号外は以前から収集していて、やはり戦中戦後のものが二百枚程度手元にあるが、珍しいものでは五一五事件のものを二十枚強所蔵している。ポツダム宣言のものもあったかな、確か。何かの講座か展示のときにでも披露したい。

 さて、友人のITOHさんから茶会のお誘いを頂き、鰯雲を見ながら、連鎖的に楸邨を思い浮かべながら茶室へと向かう。会場の花は TAKAHARA & KIMURAさんたちだったし、偶然茶会の全仕切がTSUCHIYAさんだったり、お点前は、先日わたしの講座を受講してくださった方だったりして、小一時間だったが話もまりのように弾んで楽しい時間を過ごした。お茶はいい。華もいい。こういう日本はまことに天晴れである。

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 静岡大学の情報意匠論では、いかに天才たちが手を抜かないかという話を存分にした。手塚治虫(スター制度の導入、振り子の原理、映画的手法〈※大塚英志は若干解釈の違い有り〉などの型をつくった)の、三日で三時間の睡眠を強いられ、おにぎり片手にそれでもペンをはなさず、自分の絵の限界を超えようとしている苦悩の姿。そうして宮崎駿の、腱鞘炎の指に鉛筆をそっと乗せて、わら半紙のざらざら面を上にして、芯がわざと繊維に引っかかるようにしながら、幾季節も越えて座り続けるそんなシーンを思い浮かべると、凡才の自分が手など抜くわけにはいかないのである。わたしは、ここ十数年そんな天才たちを見続けてきた。天才はけっして楽しんでなどいない。常に苦しんでいるのだ。しかし達成イメージが常に明確で、だからこそ「過剰」になれるのだ。イチローも言っているではないか。「楽しんでやれといわれますが、ぼくにはその意味がわかりません」と。
 さて、次回は、物語のマザータイプである。定めし、お楽しみいただけるだろう。

 きょう十六日は、第15回静岡県図書大会で昨年に引き続きみなさまの前でお話をする機会を頂いた。会場には100名以上のお客様、話柄は図書館の団塊サービスについて。持ち時間がひじょうに短かったので、チーターのように3秒後にはトップギアにもっていきながら句読点なく喋り続けた。それにしても40分は短い。本来なら、気随気儘に話をさせて頂くのが平野流だが、今回はそうもいかなかった。でも、終わってから多くの方から生の感想をいただけたのが、本当に励みとなった。
 そうして何よりも静岡に来車してくださったパネラーの諸先輩方の現場の声とアイデアがひじょうに参考になった。また分科会を盛り上げてくださったKAWASHIMAさん、裏方として常に支えてくださった曜霊のNISHIZIMAさんとSAWASHIMAさん、本当にありがとうございました。

 ふう、もう日をまたいでしまった。頃日(けいじつ)こんな生活だ。今からやっと原稿書きに入る。食べると旅、こつじき のつながりについて、書こうかな。

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