闇の中を歩きながら、孤独について考えた 2018/05/01
「藤枝おんぱく」のプログラムに、体験作家/闇歩きガイド・中野純さんのムーンライトウォークが加わったので参加してきた。
https://shizuoka-onpaku.jp/fujieda/events/2018220310003
中野さんとは、今からちょうど10年前の2008年に大学の授業に来て頂いて以来の「お月合い」である。その更に3年前、東京は神保町で中野さんの著書『月と遊ぶ』(アスペクト,2004)を偶然手にしたことがきっかけである。人のえにしとは不思議なものである。
中野さんのナイトウォーク/ムーンライトウォークは、今回で4度目の体験となる。内、3度が主催者で、今回は初の一般参加となった。ナイトウォーク/ムーンライトウォークは、場所や季節、月の位置や高さが変わるだけで、歩く度に新しい発見がある。今回、わたしは集団で移動する中、ただひたすら黙して歩き、月齢12の月を相棒に孤独について考えていた。
現代人は目が覚めるとまずスマホを確認し、電車の中でLINEをチェックし、ランチをしながらmailを送受信し、会議中にネットを検索し、デートしながらも個々にfacebookに投稿し、テレビを見ながら検索し、布団に潜り込んでまたLINEをチェックするという始末だ。ひどい人になるとトイレの中でもスマホをはなさないという(そんな訳でスマホは雑菌だらけである)。また大量のメールや「イベント」の告知によって否が応でもおしゃべりさせられる。まったくもって、孤独になることが許されない世の中である(わたしも仕事絡みでは度々その加害者になっている)。
以前、わたしの利用する路線バスで、ある一定の期間(たぶん数ヶ月間)、信号で止まる度に安っぽいクラシック音楽がそこそこ大きなボリュームで流れていた時期があった。耳を塞ぎたくなる音が止まる度に閉鎖空間の中に流れるのである。どういうことかと関係者に訊ねたところ、バスの中がしーんとなって居心地が悪いというクレームが来たための対応だという。もはや人々は信号でバスが停止するわずか1分程度の沈黙にも耐えられないのである。そういえば、ちょっとまちの中を歩いただけで、自動販売機が喋り、大画面の広告が語りかけてくる(聴覚に障がいのある方にとってみたら、肝心の案内が聞こえず、相当迷惑な状況ではないだろうか)。
爾来、わたしはずっとひとりになる時間の大切さを考え続けている。ときどきははじめて行くカフェに身を隠したりもする(カフェは適当にざわざわしているが、なぜか自分の世界に没頭できる。わたしにとってみると山中他界である)。最近の読書、下重暁子さんの『極上の孤独』(幻冬舎新書,2018)が孤独の重要性について説いていて、興味深く読んだ。彼女がこの著書のなかで繰り返し言っているのは、孤独故の強さのことである。
そういえば、思い出した。
茨木のり子さんの「みずうみ」という詩だ。 (1969年 ※以下、部分)
人間は誰でも心の底に
しいんと静かな湖を持つべきなのだ
田沢湖のように深く青い湖を
かくし持っているひとは
話すとわかる 二言 三言で
それこそ しいんと落ちついて
容易に増えも減りもしない自分の湖
さらさらと他人の降りてはゆけない魔の湖
教養や学歴とはなんの関係もないらしい
人間の魅力とは
たぶんその湖のあたりから
発する霧だ
中野さん、下重さん、茨木さんらの考え方は、集団の中にいて、しばし孤独でいられる大切な時間を与えてくれる。
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