平野雅彦が提唱する情報意匠論| 脳内探訪(ダイアリー)

平野雅彦 脳内探訪

〜人・建築・都市を記憶する〜レンズ付フィルムによる写真展「100人の日本橋」  2017/09/05

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レンズ付フィルムを持った100人のカメラマン(プロ・アマ混在)が、ある日の、ある街の風景を写し撮り、その写真で展覧会を企画する、という試みが、GALLERY A4 (竹中工務店)主催の『100人の○○』である(○○のなかには街やエリアの名が入る)。撮影者に渡されるのは、27枚撮りの「写ルンです」一台のみ。つまり、参加者100名で2700枚の記録が残るわけである。

この企画は、2006年 改築直前の東京駅を皮切りに、浅草(2007)、東京タワー(2008)、築地(2009)、上野(2010)、深川(2012)、南三陸(2013,14)と続いた。わたしはこれまで、築地、上野、深川の3回に参加した。

◆上野撮影http://www.hirano-masahiko.com/tanbou/1304.html

◆築地撮影http://www.hirano-masahiko.com/tanbou/786.html

◆深川撮影http://www.hirano-masahiko.com/tanbou/1676.html

◆深川展示http://www.hirano-masahiko.com/tanbou/1676.html



そうして、今回の撮影エリアは、東京は日本橋。
日本橋は1603年にはじめて架けられたといわれ、翌年には五街道の拠点となった。広重の五十三次・日本橋には、左手前に魚売りが見える。現在の築地市場の前身である魚河岸は、かつて日本橋のたもとにあった。
現在架かっている花崗岩の橋は1911年(明治44)に開橋。橋の裏側には、1923年の関東大震災の爪痕が今でもみえる。今回の撮影会でも船の上からその痕跡を確認した。



以下、写真は、レンズ付きフィルム「写ルンです」で撮ったものではありません。まったく違う対象物を撮っています。
当日撮影したものは、事務局に提出済みで、展示本番までは本人も見ることができません。


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(↑)撮影にあたって、GALLERY A4のアドバイザー 木下直之氏(東京大学大学院人文社会学部社会系研究科文化資源学研究専攻)の概説がある。木下氏は、いつもお世話になっている静岡県立美術館の館長でもある。

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(↑)少しわかりにくいかもしれないが、青い線が今回乗った「日本橋・東京湾めぐりコース」。
日本橋船着場を出港すると、隅田川まで出て、工事真っ最中のオリパラ選手村や豊洲市場、レインボーブリッジなどを観ながら東京湾を巡る小さな旅。一部、撮影エリアがコースと重なっていたため、船上からシャッターを切った。


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(↑)参加者の撮った作品は、GALLERY A4で全2700枚が展示される。
また、一部作品には賞が与えられ、記録集にまとめられる。

今回、わたしのテーマは、キワである。水際、人際、街際、時代際である。
それにしても、今回はこれまでの中でいちばん苦労した。腰痛のせいにしておこう(汗)

この場にアップした写真は、レンズ付きフィルム「写ルンです」で撮ったものではありません。まったく違う対象物を撮っています。当日撮影したものは、事務局に提出済みで、展示本番までは本人も見ることができません。



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