「樂土の森アートプロジェクト」 2016/09/23
楽土舎(静岡県袋井市)は、今年で創設20周年を迎えた。
そもそも樂土舎とは、代表のマツダイチロウさんが立ち上げた「樂土の森アートプロジェクト」を軸に動く生命体のような存在で、多様な出来事の軌跡が積み重なり、織りなす空間である。ここで行われているプロジェクトは農、陶、建築、身体表現、美術、音楽、緑の各プロジェクトが横断的に、しかも連鎖しながら展開していく。
20周年を迎えた今年の目玉のひとつが、「雀のいない日」と題して行われた田中泯さんの踊りだ。一日目は、泯さんのオドリにダンサーの石原淋さんが音をかぶせ、二日目は、石原淋さんがオドリそのものに加わった。
一日目は意外な始まりだった。これまで泯さんの踊りを何度も観てきたが、踊りがはじまる前にあんなにもたっぷりと話されたのは初めてだ。口火を切ったそれは永六輔さんとの思い出と彼の才能、そうして成果への敬意であった。二日目にはアフタートークも用意されていたが、それを加えて泯さんの話された内容の一部を箇条書きにしておく。その前に記しておくと、泯さんの公式サイトには、以下のような文章があることを最初に共有しておきたい。
「オドリは個人に所属できません/私は「名付けようもないダンス」そのものでありたいのです。田中泯 ★ I am just dancer. Dance cannot belong to individual. I want to be “dance” itself which is non named. Min Tanaka」
・土方巽に憧れ、しかし、15年間もただただ見続けていた。
・やっと話しかけて、いっしょに時間を過ごすようになったら、飲んでばかりいた。
・あるときに、土方さんが言った。
「花がほんとうに美しいと思ったとき、誠心誠意心を込めて、花に向かって、ありがとう、と言えるか」
「言えません」と泯さんが答えると、
「言えないよなあ。まだまだだなあ〜」と。
・身体の方が自分に話しかけてくる。
・泯さんのオドリがわからないという人に、
「子どもに、障害者に対して、(その動きが)わからないと言えるか」と。
・(司会が参加していた高校生らに、泯さんに質問するように促すと案の定だれも声をあげない。そこで・・・)言葉にレベルがあるように思ったり、あるいは思わせたりすることがあるが、とにかく「生きた言葉」なら何でもいい。
・音が次の(動きの)きっかけをつくってくれる。
・踊る前は、いつも心臓がバクバクしている。
現場に入って、ギリギリになって初めて、やるぞー!となる。
・踊っているときには、無我の境地になっているかって?
とんでもない。様々なことを考え、感じている。
「樂土の森アートプロジェクト2016」は、このあと10月22日、23日、29日、30日、11月3日、5日、6日と開催される。10月29日にはピアニストの山下洋輔さんが待ち受ける。アーティストの奈木和彦さんのhangar roofプロジェクトによって蘇った茶室「土の家」で行われる「樂土のお茶遊び」やカフェなーと「水の家」では青山洋子さんの創作和菓子が楽しめるということだ。
・詳細は、樂土舎の公式サイトを。
http://www.rakudosha.com
・「樂土の森アートプロジェクト2015」の記事
http://www.rakudosha.com
・田中泯公式サイト
http://www.min-tanaka.com/wp/
以下、樂土舎の風景。
(↑)泯さんが山梨でつくっている農作物。「ちょいと梅酒」「おどれ塩らっきょう」。写真にはないが、その種芋がアンデスからやってきたという「みんじゃが」もある。
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