市井の人々を撮り続ける写真家 2016/05/23
本橋成一《在り処》を見る(於:IZU PHOTO MUSEUM)。
本橋さんの写真は、『バオバブの記憶』(2009,平凡社)、『屠場』(2011,平凡社)の写真集を手元に置いて飽きることなく見てきた。『ナージャの村』は、もう20年以上前になるだろうか、たしか東京のコニカプラザで見た。『屠場』のオリジナルプリントは銀座で見た。
重低音のように心に鳴り響き、全身を揺さぶる本橋さんの写真は、中毒になる写真である。写真集は書棚にしまった次の瞬間、また見たくなる。たった今まで見ていた炭鉱夫の眼をもう一度見たくなる。上野駅で立ちションしているおっさんは果たして鉢巻き姿だったか確認したくなる。サーカス小屋のバックヤードで劇団員といっしょにカメラ目線だったオランウータンともう一度眼を合わせたくなる。見たくなる、見たくなる、もう一度見たくなる。すぐにでも確認したくなる。そうこうしているうちに、時間はあっという間に小一時間は過ぎてしまう。
本橋成一。市井の人々を撮って、この力である。
ベルナール・ビュフェ美術館で、ロベール・クートラス(1930-1985 PARIS)の《僕は小さな黄金の手を探す》を観る。
なぜ周りの人たちが(とくに若い人たち)がこんなにもクートラスを話題にするのかと思って実物を観てみたら、なんだ、スマホのケースじゃないか。そのサイズ感といい、時代が付けた擦過傷にも似た肌理に秘密があった。これはいい。
(↑)わたしはまだ、この野外劇場が使われているところを見たことがない。
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