本末転倒 2016/03/19
元阪大総長で哲学者の鷲田清一先生は、奈良本辰也氏の言葉「もちろん、自分の魂を痛めつけて、その苦悶の末に考えだしたというような労作があらわれるはずもない」を受けて、次のように書いた。
「大学の研究者は今、資金獲得のための作文、「評価」のための資料作りに明け暮れている。専門的な論文を小出しするかのように書くだけで精いっぱいだ。本末転倒でないのか。学者が労力と時間をつぎ込むべきはそこではない。大学は幕府の学問所や藩校に対抗した私塾の精神に戻るべきだと歴史学者は考え、『日本の私塾』を編んだ。」(鷲田清一「折々のうた340」『朝日新聞』2016年3月15日朝刊より)
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