詩の役割、翻訳の意味 2015/09/26
《ある日のcafe konohi》
毎日新聞 「若松英輔の『理想のかたち』第6回 詩の役割、翻訳の意味」、ゲストは詩人の伊藤比呂美さん。響いた言葉を拾ってみた(すべて部分)。
若松「東日本大震災という大きな出来事を経ても、なぜ詩の言葉は広がらないのでしょう。本当に悲惨で耐えがたい出来事を経験した人は、時間と共に、他の苦しみを経験している人へ開かれるはず。私たちはアウシュビッツを何も知らないのに、『夜と霧』で、個人や民族の危機について示唆に富んだ言葉を見いだせる。たとえば今、世界には難民があふれている。少なくとも文学は、こうした出来事と大震災以後、普遍性をもって共振できていないのではないでしょうか。」
伊藤「・・・もちろん、定型があるから感情を乗せられる面はある。でも、最近は、現代詩も現代音楽や現代美術と同じく、いかにもの見得の切り方が固まってる。前に現代音楽を聴きまくっていましたが、ふっと冷めたんです。型がある、と思って。詩も残念ながら同じです。」
若松「最近は、作者や語り手ではなく解説者ばかりがいるように感じます。理路整然と出来事や作品を解説して、受け手は『そうなんだ』と『分かる』。でも、分かるだけで何も変わらない。本当は、容易に分からない言葉こそが必要です。」
伊藤「それが、詩なんですよ。コピーや歌謡曲は詩と似ているけど、人が分かっていることを書く。詩はその先に行く。自分が考えていなかったところへ。高速道路でステアリングが利かなくなるような感じにならいと。そういう詩は、自分で書いていても、前のやり方を踏襲しては書けない。」
伊藤「トルストイの翻訳を読み比べて一番よかったのが、森鴎外なんです。言葉の強度がすごい。リルケの訳もフローベルの訳もすばらしい。鴎外にマルケスも訳してほしかった! 鴎外に(中原)中也も訳してほしかった! 賢治も太宰も訳してほしかった!普通の作家の作品なら、物語の内容が大切でしょ。神話には、語りさえあればいい。太宰だって内容は繰り返しで、ただ、語りの力だけがある。鴎外も自分で書く小説はいまいちなのに、翻訳をやるとすごい。」
※すべて対談の抜粋のため、実際の対談の流れを優先してほしい。
(『毎日新聞』2015.9.26朝刊,14面,13版)
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