自分の時間管理がいちばん苦手です
時間がつくれず机に向かうことがまったくできない。「サイトを更新していないが、体の具合でも悪いのか」といった内容のメールを何通か頂く。とにかく移動ばかりの日が続く。それはそれで、いろんな意味で実りが多い移動でもある。
主なところを書き出せば、静岡大学人文学部言語文化学科・小二田誠二准教授の高校生へ向けたハイパー授業を参観。場所は静岡県立磐田南高校、文科省のスーパーサイエンス・ハイスクールの指定校だ。講義内容は『去来抄』。芭蕉とその弟子たちによる俳論である。中でもこの日のメインテーマは「ふる・ふらぬの論」。替える、取り合わせる、といった意味だ。俳論だけでなく、日本文化を考える上で、「ふる・ふらぬの論」はひじょうに重要である。そもそも「去来」というタイトルが良い。去って来る、来て去る、この“同時性”は日本文化の中でも格別な考え方だ。それはvacantと云う意味で、これがわからないと日本神話はいつまで経っても理解できないし、茶の湯の心もわからない。よって、道元や心敬、武野紹鷗や利休や織部などの系譜、さらには岡倉天心やアーネスト・フェノロサ、イサムノグチ、倉俣史朗、三宅一生、内田繁、おまけに建築家のフランクロイド・ライトなど一切合切が闇の中で宙ぶらりんになる。いずれにしても、まずはこの書物を中心にその前後の歴史をざっと俯瞰して知のリンクを張っておく。そのために書物のタイトルをまずみんなできちんと共有することが重要ではないかと考えた。それは編者や著者、その全体を貫く考え方がもっとも良く表現される部分で(そうでなくてはならない)、もしかすると芭蕉の俳論そのものに通じているかもしれないからだ。そんなふうに考えた。
浜松で北山孝雄さん http://www.hirano-masahiko.com/tanbou/91.html がプロデュースした「hotel day by day」のオープニングセレモニーに呼ばれた。当日も会場に見えていた写真家で元スーパーモデルの安珠が撮った写真がカフェ&バーで人々を出迎える。北山さんは相変わらず気さくな人で「あとから挨拶頼むね〜」と会場を魚のように泳ぐ。変わらない。会場ではグラフィック・デザイナーFUZITAさんやFM放送の憧れのパーソナリティKAMIYAさんに10年ぶりに再会して旧交を暖めあったのも束の間、背中でドアの閉まる新幹線に飛び乗りMIZUKOSHIさんの絵本の進捗状況をチェックするために東京へ。六本木で50分だけ句読点なく喋り続けて即リターン。普段は移動中を眠ること、スケジュールを調整することに充てているが、三本の原稿に朱を入れる作業に追われる。が、途中熱海あたりで爆睡。
で、静岡に着いて「コレクションすること 〜数寄の文化」をテーマに真夜中のカフェ講座、90分。これは平野が心に浮かぶことを勝手に話して良い講座で、集まる人も20人定度。もう五回目かな。残り五回かな?体力が続くかな。
日は変わって(前日にとっくに日は変わっているけれど)静岡県三島市のまちづくりの視察。八甲田山死の彷徨のごとく炎天下をただひたすら行進。寝不足が堪える。一年ぶりに三島の川縁を歩いたが最高に気持ちが良かった。経済資源という意味ではこのプロジェクトも課題は残るが、最高のまちづくりの類に間違いない。
棒になった足で、アクセルをふかしながら静岡に戻り、自分が言い出しっぺの夏目漱石「夢十夜」の朗読会に参加。語り部はヴォイス・セラピー研究家の肩書きを持つ上藤美紀代さんとパーカッショニストのチャッキリさん。声が楽器に、楽器が声に入れ替わる様はその日のテーマである色即是空 空即是色そのもの。企画を推進したIKEGAMIさん、TSUKADAさん、HAMANOさんの着物や栞、ご挨拶はすべてにおいて粋な計らいであった。ほんとうにすばらしい演出だ。
ところで漱石の夢十夜というのは、彼の作品群の中でももっとも賛否両論あるようだ。評価はまっぷたつ。例えば同時代の正宗白鳥は、わずか数作品を除いて、漱石の人格までを全否定する勢いだ。きっと夢十夜なぞ評価外だろう。
またまた日は変わって、朝から学生たちと進めているあるプロジェクトのミーティングに呼び出される。まだまだ細部が何も詰められていない(汗)。決行日はすぐそこだ。まだまだ企画・進行に隙間が多いのだ。のりしろもない。イベントを組み立てるためのスキルってないんですか、ときかれても困る。それは「想像力」だからである。想像力をスキルなんて安易に言い換えてはいけません。頑張ってね。
で、新幹線に飛び乗って皇居近くのホテルで祝宴。友人の結婚式である。最近のわたしは「これ、大豆ですから!」が主食故、久しぶりにまともな食事だった。南インドのカレーもかなりいけましたぜ。
移動中に、古井由吉と松浦寿輝の対談『色と空のあわいで』を卒読。これぞ、前日の朗読会でわたしの云いたかったことだと膝を打った。「色と空の往復運動。それが声です」は古井由吉の言葉である。こういった言葉の伐り出す力はまさに古井の独壇場だ。
そうして今日は、前述、静岡大学・小二田誠二先生のコーディネートで「南蛮の音楽・踊りと江戸の芸能」のパネルディスカッションを聞いた。まず事前準備の段階で機材のトラブルが重なったらしく、会場はスタッフとお客様の区別がまったくわからないほど混乱していた。それはさておき、会場に入って驚いたのは、その集客数。たぶん二百数十名の席は五分の一もうまっていなかったのではないか?しかも出席者は知った顔がほとんど。こういう空気は何より客がいちばん落ち着かない。きょうは、なぜか知った学生の顔も見えない。わたしもパネルディスカッションに呼ばれることが多いのでわかるが、間違いなく集客数は即やる気に反映される。もしもわたしなら死んだ気になって人を集める。いつも 入らない人数×参加料=身銭を切る と考える。
パネリストは三人。絵本作家の吉田稔美さん(お久しぶりです)、学習院大学で国際浮世絵学会常任理事の武藤純子さん、静岡大学人文学部言語文化学科教授の久木田直江さん。芭蕉もビックリ!の豪華な取り合わせである。案の定、それぞれの方のお話は、ほんのさわりしか聴けなかったが、それでも大変興味深い。わたしの好きな図像学であり絵画の解釈である。
もっと聴きたい。お願いです、そのまま続けてください、という内容だ。メモする手が止まらない。こんな話を普段から聴ける学生が心の底から羨ましい。代われるものなら代わって欲しい。教室に空席があるなら入れて欲しい。仕方がないので、かわりに著作を購入して帰りの電車で目を通す。ほら、終点に着いたのも忘れるほどだ。
きっとパネラーのみなさんは用意してきた素材の半分も話せなかっただろう。そんなわけで、三人の連続講義のあとに用意されていた意見交換はほぼゼロ。それならそれで組み立てようが他にもあったのではないか。奇跡のとあり合わせであるこのメンバーだからこそ、ほんとうに、勿体ない。だからこそ本音で書いておきたかった。
ふー、まだまだノンストップで予定は続くが、とりあえず、タイムオーバー。今からまた出かけます。 See you.
※愛車をあるイベント会場の駐車場で擦られました。22日の夜です。擦られたのはイベント終了後です。ドアミラーがぐにゃりと曲がり、フェンダーには青の塗装。特殊な青色です。国名がすぐに判断できる青色です。黙って行ってしまうのはよくないな〜。そのイベントに参加した人しか止めていないから、だれかわかっちゃうのにね。困ったね。
※どうしよう、ひどい腰痛。背が伸ばせない。ストレスか。乗り物の乗りすぎだと考えられる。