平野雅彦が提唱する情報意匠論| 脳内探訪(ダイアリー)

平野雅彦 脳内探訪

日々淡々と  2014/08/24



わたしには、みんながSNSに日々アップするような生の話題も特にないし(Facebookは半年に一度の割合で記事をアップする低燃費型情報発信を採用)、普段はTwitterでつぶやきたいこともほぼない(使い方、というか、「使うための気持の切り替え」を学生がときどき指南してくれる)。日々淡々と仕事をこなし、ただそれが繰り返される。

7月には思わぬことがあったが(廃車、むち打ち、通院中)、いつ自分が加害者になるか分からないでの、特段騒ぎ立てることもなく、静かに時が過ぎるのを待つことにしている(早く治りさせすればそれでいい)。

書きたい心の内はあっても、書かねばならい原稿やレポート類が目の前に山積する。
読む、書く、読む、書くの淡々した日々である。

それでもこの場には、忘れぬうちに、小さな一コマを二三、アップしておく。


【ある日の資生堂アートハウス】

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【ある日の国立新美術館】

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【ある日の授業成果発表会】 

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《鳥獣人物戯画》は日本アニメーションの原型である(あるいは漫画)、という記述を相変わらずあちこちで見かけるし、耳にもする。

わたしは実際に調べていないのでよくわからないが、仮にアニメーションの原型として位置づけるなら、《鳥獣人物戯画》から国産初のアニメーションとも言われている『なまくら刀』(1917)、せめても『鉄腕アトム』(1963)あたりまで移り変わっていく「移行化石」とでもいうべき作品の発見と位置づけが必要だろう。《鳥獣人物戯画》がいきなり『なまくら刀』や『鉄腕アトム』を生んだとも思えないのである。そもそもアニメーションや漫画の再定義からはじめなくてはならない。

思いつきで、それが北斎漫画であるとか、そういったことではなく、間を丁寧に埋めていく作業が必要だろう(辻惟雄さんあたりが書いていそうだが)。

◎高山寺公式サイト
http://www.kosanji.com/
右の縦に並ぶアイコンから《鳥獣人物戯画》へジャンプできる。





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