平野雅彦が提唱する情報意匠論| 脳内探訪(ダイアリー)

平野雅彦 脳内探訪

直して使う  Nikon F3  2013/12/28

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大上段に振りかざして言うなら、わたしの主義は、モノは直して使う、である。

http://www.hirano-masahiko.com/tanbou/1686.html

http://www.hirano-masahiko.com/tanbou/1848.html

そうなるとどうしても最初から長持ちするモノを選ぶことになるし、長持ちするモノはけっこう「ブランドもの」だったりもする。だからわたしは判で押したような無自覚なブランド批判が嫌いである。もちろん名のない人のつくったお気に入りもいくつも使っている。

少し長くなるが、こんな文章を引用しておきたい。日本人でありながらフェラーリやマセラティをデザインした世界的な工業デザイナー・奥山清行氏の言葉である。時間のない人は、ブルーの部分だけでも読んでみて欲しい(わたしは公の文章でもここを引用したので、そちらで読んでくださった方もいるかもしれない)。


「水晶の圧電効果を発見し、クォーツへの道を開いたのはキュリー兄弟だが、それを腕時計に搭載して実用化したのは、日本のセイコーだ。1969年のことだった。それまでの機械時計は1日に20秒程度の狂いがあるのは当たり前だったが、クォーツ時計は1日に0.2秒しか狂わず、正確な時計というものの民主化が果たされた。世界最初のクォーツ腕時計・セイコー〈アストロン〉は45万円と、当時の小型自動車と同じくらいの価格だったが、真面目な日本人はものすごい企業努力でコストダウンを繰り返し、ついにはスーパーに並ぶような価格に到達したのである。
 それに対して、スイス製の機械時計、たとえばロレックスのデイトナは、3日間机の上に放置しておくと止まってしまうし、1日に数秒の狂いは当たり前だ。ところがそんな性能の機械なのに、定価98万円、実勢価格150万円で売られていたりする、品薄でプレミアム価格でないと流通しないのだ。
 なぜ機械としての性能が劣るものに、100万円以上の値段を払う人がいるのだろうか。一つには、今の時代、人は時間を見るために時計を買うのではないという事実がある。人は時計を見るために時計を買うのだ。(中略)電子機器となってしまったクォーツ腕時計は、10年後にはもう使えない。今の半導体部品の平均寿命はだいたい4年だが、その部品がストックされているのは、製造中止から6年後までだ、だから10年後は動いていないことが予想できるのである。100年、1000年使っても狂わないはずの時計が、たった10年で使えなくなってしまうというのは、なんとも矛盾した話だが、今の世の中の仕組みではそうなってしまう。
(奥山清行『100年の価値をデザインする』PHPビジネス新書, 2013.8.16, pp161-)

10年経ったらお別れね、と最初からわかっているモノと、わたしは付き合いたくない。



きょう、Nikon F3(デジカメではありません。Nikonのサイトをみると発売が1980年とわかる。わたしが手に入れたのは、おそらく1985年前後ではないか)というカメラを静岡市の長谷通りにあるチェリーというカメラ店に持ち込んだ。その世界では大変に有名なお店であるが、わたしははじめて敷居をまたいだ。実は、数日前に、フィルムの巻き戻しノブが外れてしまったのである。
最初は修理のためにメーカーに持ち込むという話だったが、わたしが、何とか中のフィルムだけは救えないものかと懇願したところ、ご主人(ネクタイの似合う安藤潤一さん)の職人魂に火がつき、その場でブラックボックスによる手探り手術がはじまった。そうして格闘すること、30分。見事にフィルムは救出され、巻き戻しノブもその場で直してもらえたのである。
職人のプライドと技術には、惚れ惚れする。




◆ 今年の「公のお務め」もきょうでおしまい。あとはひたすらデスクワーク。原稿、原稿、企画書、読書、片付け、片付け、片付け・・・

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