ドキュメンタリー映画『ちいさな、あかり』を巡って対話 2013/08/10
写真提供:グリーンドリンクス静岡 主宰・井上泉氏
ドキュメンタリー映画『ちいさな、あかり』を巡って、監督 大野隆介さん、プロデューサー 川瀬美香さんと対話。進行役は女優の伊澤恵美子さんが務めてくださった。
今回の座談のテーマは、「ドキュメンタリー映画ってなに?」である。
こういった大きなテーマには、答えはいくつかあっていいだろう。
わたしなりの回答は、ドキュメンタリー映画は、「待つ」である。「待つ」がドキュメンタリー映画をつくる。「待つ」がないと、ドキュメンタリー映画はつくれない。待つ=ドキュメンタリー映画なのである。
普段、私たちは、何かにつけて答えを急いでいる。あわてて検索して答えを取りにいく。ひどいときには、答えが既に先にあって、欲しい結果だけを都合良く引きつけてきて、それを真相、真実、確信、そう言うものだと決めつける。このテの似非研究も多い。
時間がない、予算がない、人手が足りないといった足枷のある「放送」はともするとこの罠には陥りやすい。ときには、スーパーインポーズがどんどん入ってきて、先にある答えに向かって背中を押される。答えを強要される。効率よく答えに行き着いてもらうためにあとから音をかぶせ直したり、声を入れ替えたりする。色の調整もする。曇りも晴れになる。いやいや、テレビを批判などしていない。テレビとはそもそもそういうものなのである。それが広く視聴者から支持されているからこそ日々の放送は続いているのである。放送は「待てないメディア」なのである。いつオチが出るか分からないようなお笑い番組など、すぐにチャンネルを変えられてしまうのである。
だがドキュメンタリー映画は、答えを先に求めない。思わぬ答え、結果、真相、確信、そう言うものがやって来るかもしれない、それをただひたすら待つ。待って待って待ち続ける。いや、待つといっても、すべてが永遠に待つという意味ではない。それは、次の瞬間にやってくるかもしれない。だから、緊張しながら待つ。
私たちは学校で、watchの意味を、(注意して)見る、あるいは時計と習った。だがそこにはもう一つ大事な意味のあることを見落としてはいけない。意外かもしれないが、watchには「期待して待つ」という意味がある。全身を目にして何モノかがやってくるのを待つ。それがwatchなのである。
ドキュメンタリー映画(を創る、見る、とは)はただひたすら、watchする行為なのである。
そういった意味で、今回の大野隆介監督の『ちいさな、あかり』も川瀬美香監督の『紫』も、答え、真相、真実、確信が先にあったのではない。二人はただひたすら、何モノかを待ち続けたのだ。いたずらにカメラを回すことなく待ち続けた。そうして、ある瞬間、「そうか、これをわたしは待っていたのだ」と確信したのである。それがいわゆるドキュメンタリー映画なのである。
本座談は、女優の伊澤恵美子さんの絶妙な間と突っ込みによって進行した。そもそもこの座談は、キリンジの鈴木智彦さん、グリーンドリンクス静岡代表の井上泉さんによって実現した。場というチャンスを提供してくださったオルタナティブスペース・スノドカフェの柚木康裕さんにも感謝したい(いや、知らないところで、もっと多くの人たちにお世話になっているはずである。感謝)。
・『ちいさな、あかり』公式サイト
http://www.art-true.com/news/chiisanaakari.html (※予告編が見られます)
・ドキュメンタリー映画『紫』公式サイト
http://www.art-true.com/purple/
・『紫』予告編 YouTube(※音が出ます)
http://www.youtube.com/watch?v=Pen9_R3d8jo
・伊澤恵美子公式サイト
http://www.emikoizawa.com
・オルタナティブスペース・スノドカフェ
http://www.sndcafe.net
※以前の記事
http://www.hirano-masahiko.com/tanbou/1945.html
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