宿痾を越えていくことがデザインのミッション 川崎和男イズム 2013/08/07
大阪大学主催「適塾創設175年 緒方洪庵没後150年記念 医の知の未来へ」というシンポジウムにお邪魔した。500名の定員のところ、数百名が応募に漏れ、それでも主催者の配慮で、定員50名オーバーの550名の熱気あふれる会場だった。
今回は普段聴くことのない医療のトップランナーたちの話に堪能した。
なかでも、デザインディレクター川崎和男教授の、「適塾・橋本左内と先端デザイン学」がひじょうに心に響いた。
(もちろん第1部の西田幸二医学系研究科教授「眼とiPS細胞の未来」、作家であり医師 久坂部羊氏の自身の介護体験も興味深く拝聴。第2部の対談における読売放送アナウンサー脇浜紀子氏の捌きもみごとであった)
そもそも川崎教和男は、自身が交通事故という境遇から車椅子生活を余儀なくされ、同時に心臓病も抱えているというなかで、自らが人工心臓の研究・開発にも打ち込んできた。医師でありながら、デザイナーであり、おそらく日本でいちばん多くのデザイン賞を受賞している希有な存在である。
川崎和男は自らの命と対話しながら考え続ける。ヒトの身体に入る(人工)心臓はただ機能だけが優れていればそれでいいのか。否。その形態(意匠)も美しくなくてはならい。これがすなわち、人間の尊厳を根本に据えたデザインポリシーという問題である。果たして川崎和男以前の人工臓器の技術者達は、「尊厳のデザイン」ということとどう向き合って来たのだろうか。
その川崎和男が最も尊敬している人物が、橋本左内という適塾(適々斎塾)に学んだ人物だ(26歳の年、安政の大獄によって斬首)。
左内はおそらく世界地図をひっくり返して眺め、その地の利から日本はロシアと協定を結ぶ必要があると開国論を唱えたのだというのが氏の説である。
そうして川崎和男は時代をはるかに超えて、私淑する左内と向き合うことで一つの言葉を紡ぎ出す。それが「宿痾」である。デザインのミッションは宿痾を超えて行くことである。宿痾とは、とうてい越えることのできない壁、といった意味だ。
川崎和男は言う。デザインのミッションは世の中の宿痾を越えて、問題解決、難問解決していく行為・態度そのものだと。その先の未来創生がイコール、デザインなのだと言う。ただ、かっこいいというものを創ることがデザインではないと断じる。
早くから医師に免じられた左内は、将軍継承問題から開国まで、国の行く末をデザインしようとした。もっと言えば日本という国の問題解決、難問解決に取り組んだのである。言い換えるなら国家体計の思想をデザインするということだ。そういった意味で、橋本左内は、まさにデザイナーだったのである。
時をこえてデザイナー・橋本左内から川崎和男というデザインディレクターに魂のバトンが渡されていた。
本プロジェクトの仕掛け人のひとりである大阪大学21世紀懐徳堂 荒木基次 特任研究員(アートディレクター)に深く感謝したい。この人も、現代の左内である。
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