絵本『フレデリック』と文化政策 2013/07/04
時間が経ってしまったが、静岡県で文化政策を担当されている京極仁志さんのお話をうかがう機会があったので、少しだけだが書いておく(2013年5月31日 於・スノドカフェ)。
お話の冒頭で、京極さんが文化政策を担当する際の教科書にしてきたという本をご紹介された。それが絵本 レオ=レオニ『フレデリック ちょっと かわった のねずみの はなし』(谷川俊太郎訳,好学社,1969)である。実を言うと、この絵本はジョン・バーニンガム『ガンピーさんのふなあそび』(ほるぷ出版社,1976)と並んで、わたしのお気に入りの一冊でもあった。
冬に備えて、とうもろこし、きのみ、こむぎ、わらなどをせっせと集める野ネズミたち。でも、フレデリックだけはいつもじっとしていて働こうとしない。
フレデリックは言う。寒くて暗い冬の日のために「おひさまのひかり」を、灰色の冬のために「いろ」を、ながい冬のあいだに話がつきないように「ことば」を集めているんだ、と。
やがて冬が来て、野ねずみたちの集めた食料も尽きてしまう。だが、フレデリックが集めておいた「ひかり」や「いろ」や「ことば」は、つきることなく、みんなにたのしく、充実した時をもたらしてくれた。だって、フレデリックは、○○○だったから。
この○○には、いったい何が入るのか想像がつくだろうか。検索をする前にきちんと考えて欲しい。実は、一見すると拍子抜けしそうな言葉が入るのである。現代人は、きっと答えを聞いても、「なんで?」と首を傾げるに違いない。だが、ここに入る言葉(実は生業)は、本来最も尊敬を集める職のひとつであることを文学や歴史がそう教えてきた。だからこそ、京極さんがこの本を文化政策の座右の書とされてきたのであるし、わたしはそのセンスに深く共感を覚えるのである。
一言だけ添えておく。
美術? 演劇? ダンス? 音楽? そんなものは腹の足しにもなりはしないと、効率主義のもと、予算をばんばん切ってしまう、そういう立場の人にこそ、ぜひ『フレデリック』を読んで欲しい。
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◆さあ、激務の始まりだ。このある種「難行・苦行」を、ワンステップもツーステップも飛躍できるチャンスと捉えようとおもう。真摯に大きな課題と向き合い、勉強に取り組みたい。
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