「ふじのくに⇄せかい演劇祭2011」総括 2013/07/02
2013年7月2日 静岡新聞 夕刊
SPAC(静岡県舞台芸術センター) 「ふじのくに⇄せかい演劇祭2011」総括に寄せて。
・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
けっして忘れてはいけないことがある。演劇は、それを繰り返し思い出させてくれる装置だ。
2011年、静岡県舞台芸術センター(SPAC)はそれまでの「Shizuoka春の芸術祭」としていた演劇祭を「ふじのくに⇄せかい演劇祭2011」と改め、新たな船出を準備していた。「ふじ」から「せかい」へ、「せかい」から「ふじ」へと、SPACという「静岡」が世界と地域を演劇でつなぎ、その可能性を世に問う重要な時期であった。
ところがあの忌まわしい3・11、東日本大震災が起きてしまった。多くのイベントが中止され、神事や慰霊にまつわる行事までもが見送られた。そんな中、SPAC芸術総監督・宮城聰も一つの決断を迫られた。演劇祭をそのまま実施するか。それとも執りやめるか。
宮城は決断した。演劇の力を信じた。信じる人々を信じた。そうして2011年6月4日、その年の演劇祭は『真夏の夜の夢』(演出:宮城聰)で幕は切って落とされた。宮城はこの年の演劇祭にこんなメッセージを寄せた。「演劇は、〈よし、自分はここで、せかいのためにガンバロウ〉と思っているのが自分ひとりではないことを確認する場所です」。
あれから丸2年。わたしはグランシップの芝生広場に立った。演劇祭2013、その最初の演目『ポリシネルでござる!』という400年以上も前に誕生した人形劇を観るために。この人形劇では、ポリシネルという主人公の破綻した行動や下品なネタを、腹を抱えながら笑って観ることになった。ところがハッと気付くと自らの中に潜んでいる残忍さやずる賢さに気付かされた。
演劇は数千年もの間、人間の行動を戒め、傷を癒やし続けてきた。宮城は今年の演劇祭にこんな言葉を掲げた。「生まれかわることはできないわたしたち」。あの日をけっして忘れず、毎日を一生懸命に生きたい。
・ほとんど発言しないFacebook http://www.facebook.com/masahiko.hirano1
・ほとんどつぶやかないTwitter https://twitter.com/shizuokano1
この場にアップした内容は、その後ペンを入れる場合があります。
バックナンバーはここ↓から。「表示件数」を100件に選択すると見やすくなります。