45年も前に書かれた美術批評 〜「地方」コンプレックスを壊せ 2013/05/13
45年も前に書かれた批評だとは思えない。ここに再タイプしておくことにする。
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針生一郎『歴史の辺境 針生一郎評論4』田端書店、1970.1.25、pp32-「地方」コンプレックスを壊せ 『美術手帖』1968.4再録
今日の日本には、高度工業化、都市化によって特徴づけられる側面と、植民地支配や貧困や抑圧からの解放を求める側面とが、複雑にからみあっており、南北対立の双方に対応する部分がある。そのことは、沖縄の問題ひとつとってみても明らかだろう。したがって、一方では文明論的視野にもとづく情報産業社会の未来像が要求されるとともに、地方ではゲリラ的形式による文化の革命が必要とされる。とくに〈地方〉では政治、経済、文化の問題が縮図的にからみあっており、芸術も社会生活からきりはなすことができない。創造的な仕事はいつだって百パーセントの新しさを求める観念から生まれるのではなく、古いものと新しいもの、土着のものと外来のものが分かちがたく癒着している現実との、ぬきさしならぬたたかいから生まれる以上、このような地方の現実こそとりくみがいがあるというべきだろう。
だが問題は〈地方〉社会を規定しているものが、因襲的な人間関係であり、文化のチャネルをにぎるものが、つねに〈中央〉に権威を笠に着た、〈文化人〉という名の大ボス、小ボスたちであることだ。公募美術団体の会員が、その肩書きだけで地元の名士となり、多くの県展、市展もまた公募団体のミニチュアのような位階制度をつくりあげる。だから,冒頭に述べたような『地方』の限界とは大部分、芸術家の思想や作風までがこのような人間関係のワクにしばられ、それをつきやぶる批評精神に欠けていることに由来する。むしろ、地元では相手にされないような無名の青年たちの方が、はるかに直截にインターナショナルなものに通じる端緒をとらえていることが多い。したがって、〈地方〉とよばれる問題はいつも、この構図を逆転させることだけではなく、権力や資本と無縁で、社会的地位さえもたない芸術家が、どのようにして新しいコミュニケーションの通路をきりひらくか、という課題とつながっている。
たとえば、現在多くの地方都市には、県立や市立の美術館がすでにつくられ、あるいはこれからつくられるようとしている。だが、それらの大部分は東京都美術館と同様、美術館とは名ばかりの貸し画廊であって、系統的なコレクションもなければ斬新な企画展もおこなわれない実情である。わたしはそれにたいして、豊富な予算の裏付けがのぞむべくもない以上、すでに定評のある作品をあつめる名品主義をすてて、さしあたり地元の、まだ評価の定まらない若い作家の作品を買い上げさせること、あるいはそれらの仕事に方向をあたえるような企画展をおこなわせることが、最低条件として必要だと考えている。それによって美術館はスタッフに、お役人ではない有能なキュレーターがいなければならないし、民間の芸術家、市民による企画委員会のようなものも、必要かもしれない。現にある県では具体的にこうした運動が進められているが、それがどのような成りゆきをたどるかまだ予想がつかない。
むろん、美術館の問題などは支配体制との接点にでてくるが、芸術運動としてはグループ的な態度が基本である。わたしはなかでも福岡の『九州派』、高知の『土佐派』、大阪の『具体』や『位』、岐阜の『VAN』、名古屋の『ゼロ次元』、埼玉の『埼玉前衛』などのように、既成の展覧会形式をこえてハプニングや街頭展をこころみ、あるいはアンデパンダン形式のデモンストレーションをくわだてたグループに注目している。美術館の画廊での展覧会という形式が、一品制作という条件と結びついて、それじたい今日の多様なコミュニケーションのなかでは、せまくかぎられたものなっている以上、作家は作品をとおして新しい発表形式をもきりひらくべきだからである。
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