きわどい 2013/04/08
「きわどい」という言葉に惹かれる。
その響きにゾクッとする。抱えている意味に心が鷲づかみにされる。
正しさ、正義、善、まっすぐ・・・そういう言葉や行為よりも、きわどさには、色っぽさが宿っている。わたしはいつもそう見る。
きわどいは、「際疾い」と綴る。キワが、病んでいる。変形してしまっている。傾(かぶ)いている。悲鳴を上げている。何とかかろうじて持ちこたえている。だが、次の瞬間の確実性は何も担保されていない。そのあぶなっかしさである。
しかもその現象は、一見止まっているかのようにみえて、実は、疾風迅雷、高速(疾い)で出たり入ったり、入れ替わったりしているのである。高速すぎて、止まっているようにしか見えないのである。
きわどいには、ただの美しさにはない、色っぽさが宿っている。
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※今日現在、twitter上でつぶやかれている平野雅彦さんは、私平野雅彦ではありません。
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