「reread」「reread」「reread」 2013/03/26
◆ あるインタビューにお答えして。
年間映画を年本観るぞ、本を何冊読むぞ、アルバムを何枚聴くぞ、とかそういうことに全く関心がわきません。今までそんなふうに決めたことは一度もありません。何本観ようが、何冊読もうが、そんなことはどうでもいい。興味がない。言ってみれば時間の許す限りどこまでも観て、読んで、聴く。
それよりも最近つくづく思うのは、「reread」ということ。
よほど才能があって、膨大に観て、読んで、聴くことのできる人は別として、普通の人は、一冊と、一本と、丁寧に付き合った方がいい。ろうたけた人物とモノとの付き合いとはそういうことではないか。そもそも年間何本と決めたとたん、それが目的になる。オレは年間何本観たゾ、と脂下がる。
子どものころに読んだ本を再読してみる。何かすごいことは直感でわかるんだけど、一回ではうまく理解できなかった映画を何度も観る。人って基本的に浮気性だから、目の前に現れる新しいものを次々と追いかけ続ける。でもそういう行為って、けっきょく何も身に付かず、中身をゆるがせにする。
もちろん年齢もある。若い人はいっぱい読んだり観り聴いた方がいい。でもその場合にも、これぞというモノとはとことん付き合う。
「reread」「reread」「reread」。ちゃんと読めているか。「reread」「reread」「reread」。
行ってみたいな。
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※今日現在、twitter上でつぶやかれている平野雅彦さんは、私平野雅彦ではありません。
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