東京で五輪を?! 2013/01/26
http://tokyo2020.jp/jp/
2020年 夏期五輪を東京へ!という誘致合戦がかまびすしい。2011年9月1日までに立候補の6都市が手を挙げ、2012年にはイスタンブール、マドリード、そうして東京がIOC理事会によって選出された。最終的に今年2013年9月7日に開催都市が決定する。日本ではこれを受けて先に行われたロンドンオリンピック出場選手らが、その広告塔となってテレビやポスターで笑顔を振りまいている。
朝日新聞(2013/1/9 朝刊 「東京五輪の計画書公表 誘致へのPR躍起」)によれば、東京で五輪を開催するビジョンとして「・世界で最も先進的で安全な都市の中心で開催。 ・スポーツの力で人々を団結させ、未来への遺産を築く」を謳い、猪瀬直樹東京都知事の指揮の下「オールジャパン」でいくという。都知事は、「約4千億円の基金に触れ〈安定した財政基盤もアピールしたい〉とも言う」らしい。ちなみにあえて対比して言う「悪意」もないが、今回のプランからは「震災からの復興」の文字が削除された。
東京で五輪を!という声を聞く度にわたしは、2006年に東京と福岡が日本の候補地として競った「事件」を思い起こす(2006年JOCで東京に決定)。
当時、わたしはこの両案を眺めたときに、一目で勝負あり!とみた。この場では東京案は記さないが(興味があったら調べて欲しい)、福岡案の「環東シナ海オリンピック構想」には目から鱗、であった。
約言するなら、釜山、青島、上海、台北、そうして九州を大きな会場として捉え、そのコーディネートを福岡が行うという案だ。この陣頭指揮を執ったのが建築家の磯崎新(ちなみに東京案は建築家・安藤忠雄)。「環東シナ海オリンピック構想」は、各会場の時差を計算し、都市間を移動する船の計画まで細かに立てられていたように記憶する。
要は、この天啓を得た案には、東京か福岡かという近視眼的な発想ではなく、東アジアというエリアのコモンセンスをどのように作り上げていくかという態度があり、そのためには、福岡という「地理」がもっともふさわしいという骨太の目線があった。
その後、この敗れ去った福岡案は海の藻屑と消え、建築家や都市計画関係者の多くは、東京都市論ばかりやっているようにわたしには見えた。私見では、今回の東京誘致案は、この福岡案を超えていないように思えるのだ。だからわたしは、無自覚に「いいね!」ができない。
埋草のしりえに、これも磯崎新が指摘していることだが、五輪が開催された都市では、その後首都計画まるでうまくいかなくなる、ということを書き添えておきたい。
※わたしは、ひとりの建築家として、磯崎新も安藤忠雄も同じように尊敬している。
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※今日現在、twitter上でつぶやかれている平野雅彦さんは、私平野雅彦ではありません。
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