静岡市美術館『近江巡礼 祈り至宝展』 2006/01/06
( ↑ ) 司馬遼太郎は『街道をゆく』を近江からはじめた。
( ↑ )この展覧会の「近江巡礼」の四文字(タイポグラフィー)をよく見てみよう。その偏がすべて神仏の姿に見える。これはデザイナーの狙いに違いない。
先達て静岡市美術館の『近江巡礼 祈り至宝展』の内覧会に足を運んだ。
近江・琵琶湖と言えば、すぐに思い浮かべるのが比叡山。平安時代、最澄が天台宗を開くと、この地がすぐに日本仏教の中心となる。驚くべきは、法然(浄土宗)や親鸞(浄土真宗)、一遍(時宗)、栄西(臨済宗)、道元(曹洞宗)、日蓮(日蓮宗)、真盛(天台宗真盛)ら各宗派の教祖がこの地から登場するのである。このことからも琵琶湖の周辺が、仏教美術の中心になったことは容易に想像がつくだろう。
今回の巡回展は、国宝2点、重要文化財25点の作品群が一堂に!という触れ込みだが、なになに、そんなフレーズがなくとも、その前に立つとその静かなる迫力に圧倒される。
薬師如来立像(奈良時代)や大黒天立像(南北朝時代)のふくよかな彫りには、ため息すら出る。特にわたしの目を引いたのは、一見地味な大黒天の立つ俵の柔らかな膨らみである。そのはち切れんばかりの俵からは、今にも新米がこぼれ落ちそうで、誠に目出度い。
また、普段は荘厳寺に安置されている一軀の釈迦如来立像(鎌倉時代 重文)の前では多くの人が足を止めていた。その衣の柔らかさはシルクを思わせる。全体が黒く、所々生地の見えそうな仏像も、元々某かの色が配されていたに違いない。仏像と本来そういうものだ。
そもそも、仏像は信仰するもので鑑賞するものではないというようなことを言っていたのは、私淑する白洲正子だが、必ずしもそうではないだろう。わたしも以前は白洲のこの視点にハッとさせられたものだが、その後の読書によって、『日本書紀』には欽明天皇が百済から贈られた金胴仏を「鑑賞」している様子がうかがえるし、吉祥天と交わることを夢で見た修行者のことは『日本霊異記』にも記されていることもわかった。仏像は信仰するもので鑑賞するものではないといった極端な意見は、むしろずっと後になって出てきた考え方なのだろう。いわゆる現代人の後付けなのである。
話は逸れたが、この展覧会の評価すべき一つは、近江と言えば仏教美術というだけではなく、神道美術の厚みも改めて伝えようと試みている点にある。実際にこの地を訪れ、二三の神社仏閣に足を運べばその歴史の厚みというものがすぐに伝わってくる。わたしも近江周辺を何度か訪れているが、琵琶湖の湖面をあらゆる角度、時刻から眺め、そうして今度は、くるりと体を翻して山々を眺めてみると我が静岡県が富士山とそれによってできた湖の文化だとするなら、近江も同様、山岳と湖の生み出す文化であることがよく分かる。
前半と後半の二部構成になっている本展示には、時間の許す限り何度か足を運ぶこととなるだろう。
以下、これまでの『脳内探訪』から関連記事
・針江地区を巡る旅
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・樂家は茶人千利休の茶碗を作っていた陶工の家系である。琵琶湖の湖岸にはその十五代当主 樂吉左右衛門さんの美術館がある。
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・琵琶湖と言えば、写真家 今森光彦さんの仕事も忘れてはならない。
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静岡市美術館公式サイト
http://www.shizubi.jp
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