平野雅彦が提唱する情報意匠論| 脳内探訪(ダイアリー)

平野雅彦 脳内探訪

門前で立つ尽くすの巻

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 幸運にも以前からディレクションする側とされる側の両方にいる。そこでいつも感心するのは、アナウンサーの間の作り方と合いの手の入れ方だ。実は、この合いの手の入れ方で話し手のその後の運びがずんずんズレていく。これは話したいことにバイアスがかかるという意味でなく、「話ながら考えていく」ということに影響を与えるという意味だ。生放送となるとなおさらだ。アナウンサーの運びを隣で観ていると、話ながら常に、きちんと全体を見回している。これは訓練を越えた天分だ。
 アナウンサー、パーソナリティー、ナレーター、モデュレーター、朗読者、噺家、漫才師、講談師、読み聞かせ、歌手、そうしてカウンセラー・・・仕事柄、「声」を職業としているおおくの人に出会って、その質と放ち方を注意深く観察しているが、これがまったく違うのだからおもしろい。アナウンサーとパーソナリティー、この二つを並べてみただけでもその違いにびっくりする。これはむしろまったく異なる職種とみるべきなのだ。
 う〜ん・・・あれもこれも、あっちもこっちも、プロのいる世界は奥が深すぎて、いつもその門前で立つ尽くし、ため息をつくばかりである。そうしてかなり本気でへこたれる。それでも何とかその先へ歩を進めるしかないかと覚悟をきめる。
 書いてよし、喋ってよしの三遊亭圓朝を今から目指すわけにもいかないが、やっぱり、すべては古典の中にヒントがあるような気がしてならない。



追伸:
・最近はハイビジョン放送になったせいか、男性ゲストにまできちんとヘアメイクさんがついてくれる。あれは、けっこうクセになる。るんるん。
・声の力、これは今後益々研究されなければならい大切なテーマである。あ、そうそう、以前「鼻腔共鳴が良いですね〜」とある歌手から褒めて頂いたことがあり(えっへん!)、声について調べてみる機会を頂いた。半分以上お世辞であることはわかっている(笑)
・以前わたしが企画したワークショップの中で、声をどこまで届けるとか、ということをやってみた。その中のひとつ、ある人の手前で声を落とす、という手法があり、これがなかなか興味深かった。発声しながら対象となる人物の数センチ手前でその声を落としてしまう(届けない)。うまく云えないのだが、ただ小さな声を出せば良いというわけではない。そんなことができるのかと思って何度も挑戦したのですが、これがきちんと実感できるのである。報告終わりっ!!

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