「素直」ということ 2012/10/21
このところ、わたしの周りでは「素直」を口にする人が多い。
「やっぱり素直なひとがいちばん成長しますね」
「あの人がいい結果を出せたのは実力ももちろんのこと、ひとのアドバスにきちんと耳を傾ける素直さがあったからだね」
「ひとが話している途中で、話をさえぎって意見を言う人がいます。足を組んだりして偉そうにして。品がないから、そもそもダメです」
「これ重要だから読んでみるといいよ、とか、これ絶対に観ておいて。なんて言っても言われても、はい!という返事だけがよくて、ほとんどのひとが実行しない」
「ちゃんと人の話を素直に聞いて実行するひとには、しょせんかなわない」
こんな会話が最近実に多いのだ。そんなおり、こんな文章と遭遇した。
歌舞伎舞踊で人間国宝の西川扇藏さん(1928年生)のインタビュー(雑誌『和楽』2012年6月号)にこたえての文章だ。
「西川流の特徴は“きちっと踊る”こと。先生が左に回るときには左、右に回るときには右。『あれ、ここは左じゃなかったかな』と考えない。『先生が間違っているんじゃないか』というような他人への批評や批判より、自分自身を批判しながらうまくなる。そういう流儀なのです」
「たとえば、『寒い』という振りがあったとしても、ただ背中を丸めればいいわけではありません。人に見せる踊りだから、美しい所作で表現すべきなのです。これが芸の一番のポイント。その『寒さ』を美しさとともにちゃんとお客様に伝える」
「自分で自分の生の踊りを見ることはできません。ビデオがありますが、それも録画された映像を通してのもの。だから、先生を信じて、先生が教えてくれたとおりに踊ることです。それをきちんとやっていれば、お客様は美しさを心で感じてくれる」
「自我が強い人はダメですね。まず、自分を真っ白にしてから先生の踊りを受け入れる。自分の個性を出すのは後からです。『自分はわかっている』、と思っている人は、そういう振りが出てしまう。それは教えていてもわかる。そういう人はうまくならいものです」
何かあれば受け入れる前に、批判とも批評ともつかない言葉と態度で目の前の対象を斬って息巻き、正論ぶる人がいる。わたしにはわたしの持論があるのだ。そういう人は、どうやら藝能には向かないようである。藝能に対する知識や好み、どれくらいたくさん舞台を観ているかといったことではない。
そうして、やはり義太夫節浄瑠璃で人間国宝の竹本駒之助さん(1935年生)の次のようなこの上ない喜びに対して、「違和感が残る」「師匠だって間違いは間違いだ」というひとには、わたしの云いたい「素直」がきっと伝わりにくいかもしれない。
「十数年前、越路師匠との最後の向かい稽古となったとき、何十年もの稽古で初めて『ここは難しいのによくとったね』と褒めてくださったのです。そして『これからは僕の語ったもの以外は舞台で勤めるな』と言われ、今もそれを守っています。師匠のこの言葉がどれだけうれしかったかわかりませんし、今も私の芸の支えです。まだまだ師匠のようには語れませんから、私はこれからも、日々精進して参ります」(『和楽』2012年3月号)
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※今日現在、twitter上でつぶやかれている平野雅彦さんは、私平野雅彦ではありません。
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