平野雅彦が提唱する情報意匠論| 脳内探訪(ダイアリー)

平野雅彦 脳内探訪

Dr.John Dolittle という生き方   2012/07/18

tana


「地震のとき、どうするんですか〜」と半ば呆れ顔で指摘を受けた。確かに・・・(汗)


『ドリトル先生』を読んだことはなくても、名前ぐらいは聞いたことがあるだろう。それだけヒュー・ロフティングのドリトル先生のシリーズは日本人に受け入れられている。もっとも広く読まれている岩波のシリーズは、井伏鱒二の名訳で知られているが、実はその下訳は、児童文学者の石井桃子の仕事である(『航海記』)。

医師であるドリトル先生の名は John Dolittle で、実はこれ do little なのである。無能とまでは言わないにしても、ほとんど何もしない(人)、といった意味が内在する。この場合のdo littleは、本来の人間を診る医者の業務は放っておいて、動物語を獲得し、動物患者には熱心に対応してしまうという病院経営能力に関しては無能な医者といったところの意味だろう。だれかがそれを「ヤブ医者」と訳していたが、けっしてヤブなどではなく、動物からみたら、ものすごい信頼の厚い名医なのである。あくまでも人間社会における経営能力の問題なのだ。

『航海記』(これが傑作)では、ドリトル先生はクモサル島の住民から「シンカロット」と呼ばれる。think a lot だ。多くを考える(人)の意味だ。だが、けっきょくドリトル先生は、その栄誉ある「シンカロット」を名乗らず、ドリトルのまま冒険を続けるのである。
いいね〜、この生き方。

そうして、『ドリトル先生の動物園』では、動物園は見せ物小屋ではなく、動物たちの楽園という設定になっている。そこには酒場もあれば、動物図書館もあるんだよ。さすが、イギリス文学。

というようなことが、次回わたしがある場所でお話しする根底を流れる考え方だ。


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※今日現在、twitter上でつぶやかれている平野雅彦さんは、私平野雅彦ではありません。


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