『十五少年漂流記』に学ぶ 2012/03/31
ダニエル・デフォーの『ロビンソン漂流記』とジュール・ヴェルヌの『十五少年漂流記』は、われわれの少年時代には必須の読み物だった。
『十五少年』の方は、翻訳時に森田思軒によって大幅に脚色されたため、出版された1896年当初は、ヴェルヌの翻訳本だとはわかっていたものの、いったいどの作品の翻訳なのかはわかっていなかった。その後、『二年間の休暇』だとわかり、福音館書店が1968年に原作に忠実な翻訳版を出版した。
今、目の前にあるのは講談社(大日本雄弁会講談社 昭和26年)出版の太田黒克彦による版である(『二年間の休暇』も所有している)。
15人の少年を乗せた「スロウ号」(版によってスラウギ号、スルギ号の表記あり)が嵐によって漂流する。子どもたちは何とか無人島に辿り着き、力を合わせて、ときには仲間割れをしながらも生き抜いていくという物語である。そうして二年後にこの無人島に、とある船が辿り着き・・・まあ、興味のある方は物語を読んでみてください。
物語の中にこんな下りがある。
「じゃあ、第五級と四級のものは、かわりがわりに教官になって、第三級以下のものに教えること。これは教えるものの復習にもなることだ。時間は毎日午前および午後に二時間ずつ。科目は、教官がそれぞれ記憶しているころの数学、地理、歴史、博物、その他、またスロウ号の図書室にあった本の中から選んで、講義をする。それから日曜日と木曜日は、科学と歴史、そのほか日常の実際問題について討論会を開くこと。また天気のいい日には、学習のほかに、湖べりに出て運動競技などを行い、体力の増進もおこたらないこと。それから、べつに、ウィルコクスとバクスターは、大小の時計のねじを、わすれずに毎日巻くこと。ウェッブは毎日寒暖計と晴雨計の目もりを記録すること。バクスターは、ひきつづいて日記をつけること。以上、さっそくあるから実施しよう」(P122 本文旧字を直し、あとはママ)
この文章の中には興味深い箇所がたくさんある。専門によってきっと分析する視点も違うだろう。
いちばん興味深いのは、子どもたちが生命維持のインフラが整うと、まずすることは学びの場をつくることだ。しかも代わる代わる先生と生徒の役をすること。教えることで復習になるとしている点。時間割もつくる。船の中にあった図書館を洞穴内に再生して、書物を教材に使う点も興味深い。授業の中には博物学もある。「日常」に目を向け、討論会という形式で15人全員の意見を吸い上げ、すり合わせていくことで諸問題を解決していく仕組みづくり。日記という記録を残すことも怠らない。これらは多くのことを教えてくれる。さらにここに物語の背景となった時代や作者の生きていた時代や思想を重ねていけば、意外な発見もあるだろうし、それをもとに論文すら書けるだろう。
ある国々は、戦火や自然災害で国家が危機的状況に瀕すると、まずは生命維持に関わるインフラを整えた後に図書館と教会をつくり、学びの場を再生する。日本の場合は果たしてどうだったのだろう。学ぶことが多そうだ。
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この学生チームはコツコツと、もう二年越しの取り組み。まだこれからだけど、締め切りを区切って、今年は必ずカタチにしようね。まずは、中締めだね(笑)
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草間先生 インパクトがありすぎて、雑誌のタイトルが見えません(笑)
「死んでもなお描き続けたい」ときけば、笑ってなんかいられません。
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京都みたいだなあ、ここは。
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