平野雅彦が提唱する情報意匠論| 脳内探訪(ダイアリー)

平野雅彦 脳内探訪

決めつけない  2012/01/09

entotsu


上品で趣のある何かに深く感じ入ったとき、思わず口を衝いて出る言葉がある。
「風流ですね〜」。
風流。辞書を操れば幾多の定義があるのだろうが、前述のように上品で趣のある様をいうことは確かである。しかしことはそう簡単ではない。遁世して詩歌に遊ぶ(遊ぶと言っても、playではなく遊行)ことも風流だし、祭に服や笠などを過美に装飾したりするのもそうで、ひょうげものがするような婆娑羅踊りもまた風流だ。
一見すると、上品と過美は対極にある概念のように思える。だが、そもそもこの両義的な意味を内在させているのが日本語の特徴だとも言える。更に言えば、それは時代とともに変化して、ある言葉の意味はやがて反対の意義になってしまうことすらある。

ところで、風流とはなにか。思い切って一口で言えば、何事にもとらわれない・決めつけない、ということではなかろうか。
昨年亡くなった俳優原田芳雄(2011.7.19没)が生前、じぶんのモットーは何事にもとらわれないことだ、といったことを述べていたのがとても印象的だった。決めつけない。これは簡単そうに思えて、その実なかなかできることではない。そもそも、わたしたちは、何かを決めつけないとやっていられないからだ。あのひとはこういう人だ。あの店の味はああだね。あいつはこう言うに決まっている。あのひとの書くものはいつも決まってこうだ。そう決めてかからないと、言語化できない。輪郭線が曖昧になって、対象を捉えることができない。要するに不安なのである。
プリンシプルを持つことはいいことだ。主義主張がない奴は信じられない。そう決めつけられて久しい。事実本屋のビジネス本のコーナーを見れば、その手の本がごまんと並んで、おれ様の主義がいちばんだとかまびすしい。言い換えれば、時代は主義主張の強いリーダーばかりを求めてきた。弱音を吐くリーダーは少なくともビジネス界ではあまり受け入れられているようには見えない。だが、累計何億冊売っているかは知らないが、『ワンピース』というマンガの主人公モンキー・D・ルフィは弱音ばかりを吐いている。その弱音が、強いチームを生んでいる。

この正月、布団にくるまって『方丈記』を読んだ。そうして大詰めにこんな下りを見つけた。
そもそも一期の月影かたぶきて、余算の山の端に近し。たちまちに三途の闇に向はんとす。何のわざをかかこたむとする。仏の教へ給ふおもむきは、事にふれて執心なかれとなり。今、草庵を愛するも、閑寂に著するも、さばかりなるべし。いかが要なく楽しみを述べて、あたら時を過さむ。
もうわたし(鴨長明)の人生は終わりにさしかかっているが、この期に及んで、草庵がいいの、ああでもないこうでもないといっていることじたい、仏の教えに背いているのではないか。もう不要なことを考えて、大切な時間を浪費するのはやめよう、と。
この下りから見えて来るのは、少なくとも長明の風流への気付きであろう。いや、もう風流の中にあって、それでも、何かにとらわれてしまう人間の業を読み取るべきだろう。

さて私事だが、今ここへ来て二年越しで荷物を十分の一にできないかと考えている。膨大なコレクションをどうするか、など課題は多い。だが今年は、三月と八月の二回に分けて、まずは荷物を半分にする。言ったからにはする。あれれ〜、もしかすると、これも何かにとらわれているのかな。いや、恥ずかしながらずっとそれ以前の問題だ。もちろん、この整理には、その先がある。


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※今日現在、twitter上でつぶやかれている平野雅彦さんは、私平野雅彦ではありません。


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