平野雅彦が提唱する情報意匠論| 脳内探訪(ダイアリー)

平野雅彦 脳内探訪

「待つ」 絶望の淵で  2012/01/08

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承前、『「待つ」ということ』(鷲田清一)を読み進めていたら、名著『夜と霧』のV・E・フランクルが例に引かれており、その記述を思い出した。

強制収容所では、クリスマスから正月にかけて大量の死者が出るという下りだ。それは筆舌につくしがたい寒さのせいでもなく、伝染病によるものでもない。最初から「無理だと確信」のあるクリスマスや正月という希望を前に、そこに指一本届かないという絶望によるものだ。過酷な条件の中でも、ひとは小さな希望を持ち続ける。たとえそれが鷲田先生の云う「何も希望しないことがひととしての最後の希望となる」のだとしても。それは、「この世への信頼の最後のひとかけら」がなければ、待つことさえできないということにつながる。

待つ。ひとはなぜ、待つのだろう。なぜ、期待などするのだろう。しかもいちばん不安定な自分自身にも。

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※今日現在、twitter上でつぶやかれている平野雅彦さんは、私平野雅彦ではありません。


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