「待つ」 2012/01/01
あけまして、おめでとうございます。
今年のテーマは、「待つ」。
電子メディアが生活の中に入ってきて、即答が求められ、即決が強く要求される時代になりました。ビジネスはもとより、政治も教育も、個人間の信頼関係ですら、ほぼ同じ状況です。「待つ」ことが、「不自由」になったのです。
「待つ」ことと、「先送り」にすることは、ともすると同じにみえてしまう場合もありますが、まったく違った行為です。いや、もっというなら待つことは、勇気をもって先送りにすることだとわたしは思うのです。
「待つ」。そこにあるのは、未来に対する希望です。今は確実なことは言えないけれど、未来はこうなっているかもしれない。だからこそできる限りのことをして、あとは待つ、という能動的な期待行為です。「果報は寝て待て」とは、まさにある事柄に対して、熟慮し、もうこの先は人知の及ばぬところだから待つしかない、ということ。放り投げてしまったわけではなく、単なる運頼みとも違います。「あきらめる」の原義である「明らかにする」とは、まさにこのことを言うのです。
わたしは、待ちます。一人で待つ。いつまでかもわからない。どうなっているかもわからない。わからないからこそ、そのときを強く希望をもって待つのです。
それは太宰治がわずか数ページの掌篇『待つ』で言っていることとほぼ同義です。
春よ、来い。
◆『待つ』 太宰治 (青空文庫)
http://www.aozora.gr.jp/cards/000035/files/2317_13904.html
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