やっぱり、「直して使う」 2011/12/26
10年以上使い込んできた大きな革のトートバッグが、かなりくたびれて来た。二つの取っ手は根もとから引きちぎれそうになり、底の両角がすっかりすり切れてしまった。
しばらく部屋の隅に放っておいたが、暮れにもなって、何となくその存在が侘びしく思えてきて、先月修理をしようとある直し屋に持ち込んだところ5万円という見積もりが上がってきた。
ちなみにここ20年、わたしのモノとの付き合い方は「直して使う」である。言い換えると、直せないものは買わない、ということだ。
5万円か・・・迷いに迷ったあげく、今回は諦めることにしよう。思い切って処分してしまおう。そう決断した。
そんな話をある方に何気なくしてみたところ、「某有名鞄屋に勤めていた方がやっている店があるので、相談してみたらどうだろう。けっして大きな店ではないが、いい仕事をしてくれるかもしれない」と。実は、わたしはこの店の前を月に何度か通るのだが、意識したことすらなかった。もっと言えば、あることすら知らなかった。
さっそく、件の店にバッグを持ち込んでみたところ、店主が、「これは完全には直らない。無理矢理直そうとすると本来の形が失われる。直ったとしても買った方がぜったいに安い」ということだった。
わたしは「大切に使ってきたバッグなので、なんとか直してもらえないか」と繰り返しお願いした。店主は、しばらくバッグをひっくり返してみたり、裏地を確認したり、何度も取っ手の縫い目を指先で追いかけたりしていたが、力強く「やってみるか」と言ってくれた。
そのトートバッグがきょう直ってきた。自分の眼で見るまでは不安でいっぱいだった。だが、それはもののみごとに直っていた。修理を言い忘れていた部分までも直っていた。それは大いに納得のいく仕事だった。
「これで、またしばらくもつから大丈夫だ」と店主は自分の仕事に満足げだった。
「おいくらでいいですか」
「1万2千円もらおうかな」
まったくもって、納得のいく仕事だった。
iPhoneと比べてみると、このトートバッグ(ISSEY MIYAKE)の大きさがわかる。
修理に出す前に撮影しておけばよかったと悔やまれる。
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※今日現在、twitter上でつぶやかれている平野雅彦さんは、私平野雅彦ではありません。
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