「校正」 〜RIKAさんの仕事
ジェットコースターとカラオケとカボチャと、そうして「校正」が苦手である。仲良くして頂いているRIKAさんは、わたしがダメダメな「校正」をなんと生業にしてしまっている驚異的な人物だ。わたしは、RIKAさんをいつも羨望のまなざしで見つめている。彼女は、宝島社で雑誌「田舎暮らしの本」を担当、そのあと一本立ちして、東京大学出版会をはじめ、実に多くの仕事に係わっている。
写真はそのRIKAさんが校正を担当した多彩な書物のなかの一冊だ。『「資本論」も読む』(宮沢章夫著 カバーのイラストは漫画家のしりあがり寿さんhttp://www.hirano-masahiko.com/tanbou/153.html)。著者の宮沢さんは、歯が立たない本といかに立ち向かうかという態度を、マルクスと格闘することで身をもってしめしている。
わたしは33歳のとき、ある仕事がきっかけで、見たことも食べたこともない本と格闘する羽目になった(これは一種の事故である)。読んでも読んでもわからない。一行も理解できず、泣きながら何冊も辞書を引くのであるが、そこにはまた理解できないことが書いてあるという悲惨な状況だった。しかし、そこを諦めずに読み進めていくと、いつの日か目の前がパッとひらけ、一筋の光が見えてくる。ウソのようだがほんとうだ。補助輪なしで自転車に乗れるようになったあの瞬間の感覚だ。蹴上がりができるようになったあの感動の瞬間だ。これこそ著者と共通言語、共通思考回路、共通文脈ができた証拠で、念仏のように見えていた文章の意味が少しずつ理解できるようになってきたということだ。そこまでいくのがとにかく大変なのだ。
校正という仕事は、単に誤字・誤植を探し出せば良いのではない。膨大な知識が必要だし、文章の捻れや文脈の乱れを的確に拾い出し、編集者や著者に伝えるのだ。更に云えば、知識の回路の予備電源を入れておきながら「読みながら、眺める」というアクロバティックな作業なのである。素人やセミプロは、眺めているうちに読んでしまって失敗する。
とにもかくにも『「資本論」も読む』をはじめ多くの書物はRIKAさんがいなければ、世に出ることはなかった。やっぱりすごい。すごすぎるぜ、あなたは。ヒューヒュー。