平野雅彦が提唱する情報意匠論| 脳内探訪(ダイアリー)

平野雅彦 脳内探訪

静岡県立美術館タウンミーティング  2011/07/19

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静岡大学の学生5名が、静岡県立美術館のタウンミーティング(正式名称「さわやかタウンミーティング」)に参加した。
写真には写っていないが、常葉学園大学の学生6名、美術館の職員5名が同じ会場に座った。わたしは学生達を紹介したこともあり、同じ会場に席を一つご用意頂き、発言に耳を傾けさせて頂いた。
細かな内容については、やがて何らかの方法で美術館から公に向けて報告があるか、あるいは実務レベルで意見が反映されると思うのでそれに譲るとして、このような場をもつことは、大変に意義のあることだとつくづく感じた。副館長以下、多くの職員のみなさまに篤く御礼申し上げます。

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坂田芳乃副館長から、タウンミーティングの趣旨と、25周年を迎えた静岡県立美術館の歩みと現状が報告される。

美術や美術館を語るということは、もちろんそれぞれの立場で可能だし自由だが、けっして生易しいことではない。美術に触れて、「たのしかったです」の次の言葉を探そうとすると、多くの人がいったん沈黙する。
だが時間をかけて丁寧に、今自分が言葉にしたことを次の瞬間にも上書きしながら精度をあげていくことが大切なのだ。つまるところ、評論も哲学も科学も、あらゆる学問というのは、言葉の精度をいかに高めていくかということに尽きるだろう。
学生達も、もちろんわたしもそうだけれども、その瞬間に言葉にしなければすぐに記憶の彼方へと消え去ってしまう事柄を言語化することで、きょう、美術館へ出掛ける前よりも美術や美術館がきっと身近になったに違いない。小さな一歩だが、こういったことの積み重ねだとおもう。
美術というのは、特別な場合を除き、作り手と鑑賞者、そうしてそれを見せる場、今回でいえば、美術館のような場所の「三角関係」のバランスによって成立する。そこで大事なのは、作品を鑑賞者に向かって翻訳するキュレーターとか学芸員とよばれている人々の存在だ。もう一歩踏み込んでいえば、さらにその学芸員らを後押しする「ゆるやかなネットワーク」のような存在がこれからは特に必要となるだろう。その役を学生らができないのかとわたしは考えているのである。

今回参加した静岡大学の学生達は美術に関しては全くの素人である。それにもかかわらず、このような場に臨んで積極的に意見するのは、自分の経験で得た視点や方法を、美術や美術の見方、美術館との係わり方という課題に対して、重ねたり、折り返したりしながら、関係の発見に注意を注ぐ方法を心得ているからだ。われわれは常に新しい課題に対して、このような方法を無意識にとっている。だが、それを意識して「術」として使えるようになると、それが問題解決のための「技」となるのだ。

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只今静岡県立美術館では、「芸術の花開く都市展」を開催中である。
http://www.spmoa.shizuoka.shizuoka.jp/
芸術とそれが誕生した土地、時代、環境をテーマとした展覧会である。もちろん、静岡県立美術館でしか観られない作品が膨大に並んでいるので、ぜひ足を運んでみてください。

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わたしが彼女らを高く評価する理由は、常に「迷いがない」ということである。何か新しいことをやろうと声をかけたときに、はい!という答えがすぐにあることだ。隣のひとはどうかなあ、とか、得になるか損になるかなどを考えないという態度である。面白い!と感じる感度が抜群にいいことである。


「おつかれさま〜」
本当にいつもお世話になっている学生たち。今回は、他のこともいっぱいお願いしているので、事前にお疲れ様会。同じ釜の飯を食うことは、何よりも大切なことである。

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※今日現在、twitter上でつぶやかれている平野雅彦さんは、私平野雅彦ではありません。


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