平野雅彦が提唱する情報意匠論| 脳内探訪(ダイアリー)

平野雅彦 脳内探訪

ふじのくに演劇祭を振り返る(静岡新聞に寄稿) 2011/07/06


静岡県舞台芸術センター(SPAC)「ふじのくに・せかい演劇祭」を振り返る  
                     2011.7.5 静岡新聞 夕刊

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 古代ギリシアでは年二度、豊穣と文化の神ディオニソスを祀るための春と冬に演劇祭が開催された。静岡県舞台芸術センター(SPAC)で毎年行われている演劇祭は、まさにこの見立てといっていいだろう。
 そんななか今年の「ふじのくに・せかい演劇祭」はだれにとっても特別な位置づけだった。演じる側も、観る側も、そこに東日本大震災の生々しい記憶を重ねて観ることとなった。津波や原発の映像を見て傷つき、何もできない自分の無力さを嘆き、苛立ちを覚える。そういった人々に対して演劇に何ができるのか。その答えが今回の演劇祭でもあった。
 劇作家野田秀樹の戯曲(潤色)をSPAC芸術総監督宮城聰が演出した『真夏の夜の夢』は、シェイクスピア作品がベースになっている。本歌との差異、言語の遊び、舞台装置など、細かく検証すれば興味は尽きないが、あえて一つだけスポットを当てておくなら、本作の舞台となっている森は混沌と混迷のメタファー(隠喩)だ。森から脱出し、新しい世界を見つけていくという「現実」は、この混迷の時代と重ねあわせずにはいられない。
 『タカセの夢』は、振付家でダンサーのメルラン・ニヤカムが静岡の中高生10人と,静岡の地で時を一緒に過ごしながら創り上げたダンス・パフォーマンスである。その出来映えもさることながら、言語の壁を越え、一つの目標に向かって物語を再生していく演劇の底力に今まで以上の可能性を感じた。
 演劇は未だ観ぬ世界の再生装置である。それは暴力的に寸断された深い傷から人々を救い出してくれる装置でもある。そうして、今年の演劇祭のテーマに芸術総監督宮城聰が掲げたフレーズは、「上を向いて歩こう。せかいを感じながら」である。心にしみる。
                     平野雅彦(静岡大学 客員教授)


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