平野雅彦が提唱する情報意匠論| 脳内探訪(ダイアリー)

平野雅彦 脳内探訪

良寛と貞心尼  師弟 相聞の歌 2011/06/16

rytoukan



貞心尼(1798-1872)が、良寛(1758-1831)に法弟願い出たのは文政十年(1827年)、ふたりの年齢差は四〇もありました。貞心尼は良寛の亡くなる晩年の五年間を師と弟子の関係で過ごします。

下に挙げたのはそんな二人の相聞の歌です。
「・・・一二三四五六七八 九の十 十とをさめてまたはじまるを」ですよ。手まりひとつを使って、こんなにシンプルに、そうしてリズミカルに仏教の本質を伝えた歌は他にはないでしょう。



これぞこの仏の道に遊びつつつきや尽きせぬ御法(みのり)なるらむ(貞心尼)

つきてみよ一二三四五六七八 九の十 十とをさめてまたはじまるを(良寛)
(ひふみよいむなや)

君にかくあい見ることの嬉しさもまだ覚めやらぬ夢かとぞ思ふ(貞心尼)

夢の世にかつまどろみて夢をまた語るも夢もそれがまにまに(良寛)

君や忘る道やかくるるこのごろは待てど暮らせど音づれのなき(良寛)

いずこへも立ちてを行かむ明日よりはからすてふ名を人の付くれば(良寛)

山がらす里にい行かば小がらすもいざなひて行け羽根よわくとも(貞心尼)

誘ひて行かば行かめど人の見てあやしめ見らばいかにしてまし(良寛)

鳶はとび雀はすずめ鷺はさぎ烏はからす何かあやしき(貞心尼)

あづさ弓春になりなば草の庵をとく出て来ませ逢ひたきものをいついつと待ちにし人は来たりけりいまは相見て何か思はむ(良寛)




「・・・待ちにし人は来たりけりいまは相見て何か思はむ」 
逢いたいひとに逢えて、もうこの世に思い残すことはない、ですものね。
いいですね〜 師と弟子の関係。


*わたし、良寛の『天上大風』(てんじょうたいふう)という筆が大好きです。子どもらに頼まれて、凧に書いた言葉です。





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