テーマは「老い」 2011/05/18
疾風怒濤の講演・講座・授業の5連打を何とか乗り切る。ゼーゼーゼー。
それらを前にここ数週間、膨大な資料を創ることに追われた。しかし案の定、本番ではその半分も使わなかった。それならば最初から、余分な手間をかけなければいいとおもうのだが、なかなかそうもいかない。理由の一つはわたし自身の、常に「過剰」という性格によるもの。もう一つの理由は危機管理だ。
今回も講師を頼まれた第15回静岡県図書館交流会では会場の様子を見て、本番20分前に講座の組み立てを一気に変えてしまった。そういう場合にこそ事前の「余分」な準備が大いに役立つことになる。そういうことを自分自身が何度も経験していて知っているのである。何事も準備だけは「過剰」にしておくに限るのである(それにギリギリまで付き合わされるスタッフはたまったものではない。Kさん、Yさん、Tさん、すみませーん。でもハッキリって、そういう人たちとしかいい仕事は残せない)。
そんななか、広報のセミナーで三島市を訪れた際、昼の時間を使ってちょいと贔屓にしている鰻屋の暖簾をくぐろうとしたのだが、運も悪く障子越しの灯りはおちていて、臨時休業。なんだか神様に招かれるようにして、そのまま三嶋大社の境内へ。そうしてふら〜と入ったのが、この境内で三代にわたって店を出しているというおでん屋。確か86歳だったかな、お店を切り盛りするおばあちゃんとひとしきり話をする。
「歳を取ってよかったことってなんですか」
実は最近のわたし個人的テーマは「老い」なのである。それは「何かができなくなったという文脈における老い」の問題ではなく「これからあることが始まるかもしれないという前兆と覚悟における老い」の問題だ(詳しいことはそのうちに書くかもしれない)。それで、80代半ばのおばあちゃんに上のような質問をぶつけてみたのだ。
「毎日が刺激でいっぱいなことだよ。歳を取ると余裕も出てくるしね。ははははは。それに、こうしていつまでも働けるっていうのはいいもんだよ。ありがたいね〜。三嶋大社の神様のおかげだね」
あのね、あのね、あのね、これだからお年寄りと話をするのがやめられないのである。
つい最近もある会議をご一緒した60歳代の女性に、「(もちろん今でも若いのですが)若いころより今の方がステキだなっておもえることって何ですか」と伺ってみた。
「人を好きになることかな。むかしとは全然違うのよ」といいながら、その女性は微笑んだ。
「何がどう違うんですか」と訊いたところで、会議がちょうど始まった。
歳を取ることでわきだす余裕。一方、歳を取ることで許せなくなったこと。そんなことを最近、しみじみと感じている。
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