弥次さん喜多さん観阿弥さん 〜しりあがり寿さんの仕事 2007/06/16
漫画家のしりあがり寿さんを講座のために取材させて頂いた。わたしはずっと以前から、かれのファンで、「しりあがり寿の〈弥次喜多in DEEP〉は複式夢幻能である」という文章も書いたことがある。
その複式夢幻能を創り上げた世阿弥の父・観阿弥は静岡浅間神社の境内で最期の舞いを舞って駿府で亡くなった。わたしは世阿弥、観阿弥、しりあがり寿をセットで応援したいのだ。みんな、しりあがり寿を読もう。
(以下、講座に使った資料)
追記:過日、ある講演の資料を見ていたら、明らかにこのページをコピペして、ほんの一部だけ修正して使っているレジュメを発見。別にいいんですけどね(笑)
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【しりあがり寿作品紹介 取材その他で拾った言葉 あるいは雑感】※敬称略 通し番号順不同。以下、あくまでも、しりあがりさんの書かれた文章ではありません。
1. 『弥次喜多in DEEP』は、現状の生活に限界を感じた弥次喜多の二人が(ホモセクシャルな間柄)、お伊勢さんまで向かう道中記。現実と幻想、生と死、過去と未来といった二項対立で描いた。ただ嘆くことでしか、絶対に避けられない死がテーマだ。→いとうせいこう氏が小説『ノーライフキング』で言った“リアル”というテーマが作品の根底を流れている。
2. 『真夜中の弥次さん喜多さん』(1996マガジンハウス)『弥次喜多in DEEP』(1998エンターブレイン)『小説 真夜中の弥次さん喜多さん』(2000河出書房新社)『真夜中のヒゲの弥次さん喜多さん』(2005エンターブレイン)で構成されている。
3. しりあがり寿にとって、弥次喜多は初の連載長編漫画。
4. 最初は、しりあがり寿の奥さん、西家ヒバリさんのために考えた作品。しかし、彼女が忙しくてできないし、やる気がしないと言われ、自身が書き始めた。
5. 一回一回読み切りで描いていたが、続き物になり、物語を引っ張るようになった。単行本でいうと最後の一冊ぐらいで、編集者と相談し、そろそろ終わらないと読者がついてこれなくなる、ということで終わりのイメージを考えるようになった。
6. 毎回16ページ。編集者からは原稿料が出る『ガロ』だと思って書いてくれというオーダーだった。で、『ガロ』なら分かりにくい方が良いなと思って書き始めた。
7. 喜多さんは、ドラッグジャンキー。死ぬことにあこがれを持っている。
8. 『弥次喜多in DEEP』では、弥次喜多は最終目的地お伊勢さんにたどり着けない。この佐品は手塚治虫漫画賞を受賞したけれど、手塚治虫がいちばん嫌っていた“夢おち”を徹底的にやっている。テーマそのものが夢である。
@確信犯。他の人は絶対にやらないだろう。ある意味、日本の漫画をつくってきた手塚治虫へのアンチテーゼか。
@それでなければ漫画が終われなくなった。
9. とにかく、しりあがり寿は、滅茶苦茶をやりたい。滅茶苦茶という海の海岸に流れ着いた貝殻を拾い集めて作品をつくりたい。しかし、そのままでは作品にならないし、長編が書けない。読んでもらえない(読んでもらいたいという欲求が人一倍強い)。よって、作品づくりでは、つねに滅茶苦茶を入れる“器”(型)ということを重視している。
10. 昔から、物語の「きざはし」が好き。物語が湧き出す瞬間。なんだかよく分からない、本当かどうかも分からない、そんなことに心惹かれる。
11. 仮名垣魯文(江戸末期、明治の戯作者、新聞記者)は江戸から明治になったときに、何か新しいことをしたいと思って『西洋道中膝栗毛』を書く。この場合にもしりあがり寿と同様、時代のエポックをつくった作品のベースには十返舎一九の膝栗毛がある。
12. 私(平野)は、この作品を能の手法を使った作品だとみている。
13. 現実は『弥次喜多in DEEP』はさほど売れていない(本人談)。それは絵のタッチのせいだと思っている。しかし、おおくの批評家や漫画家(例えば、大友克洋や庵野秀明、高橋源一郎など)が、しりあがり寿の線だからこそ、この絵は成立した、と断言する。
14. 『真夜中のヒゲの弥次さん喜多さん』(2005)には先の『ヒゲのOL藪内笹子』の実験がある。なぜヒゲか。それは異質なものが出会うことで、新しい何が生まれるからだ。と、かっこよく言いたいが、最初依頼があったのがエロ雑誌で、OLにヒゲをはやしたらわいせつな感じがすると考えたのが始まり。
15. 私(平野)も、しりあがり寿の線が好きである。
16. 私は35歳頃、しりあがり寿の線も入れながら、「線差万別プロジェクト」で遊んだ。
17. しりあがり寿は多摩美の出身。同期に漫画家の喜国雅彦、二学年下にブックデザイナーの祖父江慎がいる。
18. 特に祖父江慎との仕事の関わりは大きい。※祖父江の仕事紹介。
19. J.G.バラード、フィリップ・K・ディック、フェリーニ、鈴木清順に影響を受けた。高校の頃は、ヘッセや太宰治、安部公房、井上靖、筒井康隆を読む。
20. 父親は漫画好き。赤塚不二夫や山上たつひこなどのギャグマンガが好きで、水木しげるや白土三平などの劇画が大人の漫画で、目に☆が入っているようなアニメや子ども作品はランクが低い漫画(アニメ)だと考えていた。
21. オリジナリティを疑う。最初はパロディばかりやっていたが飽きた。パロディでは、相手がそう描いたなら、こちらはこういう描き方もある、とやれた。しかし、パロディされる側になりたくなった。というか、それでないと自分が先へ進めなくなった。
22. ナンセンスギャグはナンセンスを超えて、人間心理を逆なでする。アヒルの卵から白鳥が出る、アヒルの卵から恐竜が出る。ここまではふつう。アヒルの卵から風呂上がりのイチローが出る。ここに合理性はないが、逆に可能性がある。→川崎徹の不条理CM。バケツに呼びかけも返事がない。ナンセンスは抒情である。いわゆるそこには考えていることがそのまま出る。微妙でデリケートで深いつかみどころのない何かが現れている。フロイトの深層心理学。
23. 80年代の“ヘタウマ”という流行によって、しりあがり寿は世に認められた。“ねくら”が流行った時代。糸井重里は、湯村輝彦を起用。この時代、しりあがり寿は作品ごとにタッチを変えていた。しかし、これもしんどくなっていた。
24. 90年代のテーマは、徹底的に暗いものを描いてやれとおもった。「死」まで笑ってしまえ。で、作品『病床便り』も生まれる。そうしてここで『真夜中の弥次さん喜多さん』誕生。
25. 次から次へと新しいメディアが生まれ、新しい幸せが生まれる。みのもんたの健康法に似ている。個人の中へ視点が向かうことよりも、社会の中の矛盾を描きたくなった。これは時事問題をやっているからかも。
26. しりあがり寿は、考えて考えて考え抜いて「死とは何か分からない」と答えたいという。
27. 1994年 サラリーマンを辞めたしりあがり寿は『流星課長』(風の谷のナウシカ、超時空要塞マクロス、エヴェンゲリオンの庵野秀明が撮影)を発表。京王線の満員電車に必ず座って帰ろうとする課長の闘争を描く。お世話にもなっていないのに、お世話になりますと言い、同じスーツ着て会社行ったりしているのに違和感を覚えていた(笑っていた?)。パフォーマンスのために満員電車に乗り込もうとする総理一行に、流星課長は定期をSPに突きつけ「この定期を持って帰るもの誰しも座って帰る権利がある」と。この言葉に呼応したサラリーマンたちが一斉に蜂起、自衛隊と闘いながら席を奪うというシーンはまさに感動もの。
28. しりあがり寿は片づけができない。机の周りはつねにぐちゃぐちゃ。
29. 人当たりが良いのでファンも多く、頂き物も多いが、それをすぐにアシスタントにあげてしまう。
30. 前の日にいっしょにボーリングにいったことも忘れ、翌日たのしかったことをアシスタントに話して聴かせることもある。
31. 飲むと、ない笛を吹き、お店のものを盗む、体を張ってタクシーを止める。
32. その場その場で、やりたいことだけをやってきた。移り気。飽きっぽい。ひとつのことに集中できない。そもそも完璧にやろうという気がない。読者へのサービス精神が足りない。それで良いとは思っていない。アシスタントに描いてもらった背景も、なんか違うと思ってもそれでいいにしてしまうことが多い。180 200パーセントの力で作品を描いているよりも、80の力で80の作品を仕上げたい。全力でやった仕事、例えば『徘徊老人・ドン・キホーテ』や、他の作品をぜんぶことわってやった『ゲロゲロプースケ』のプレッシャーには、もう耐えられない。
33. アシスタントに依存することが多い。ビルを描くのが得意なアシスタントがいると、そこから作品をつくってしまうこともある。
34. ふつうがいい。加工しすぎは嫌い。むき出しの線が好き。
35. 描くより、考えている方が長い。
36. 後悔に重きを置かない。リアリティを伝えたい。しかし、自分の線では、濡れ場が描けないし、一生懸命描いても男女の恋愛は伝わらない。
37. 自分の中では、わざとたくさんの人に読まれないような漫画を描いているつもりはない。そのために漫画の辺境をほっつき歩き、「ここにおもしろそうな漫画が埋まってそうだよ」とツルハシを立てることが好き。でも、飽きっぽいから、すぐに他へ行く。このために自分のブランドイメージがなかなかできないことに悩んでいる。
38. で、たどり着いたのは「敷居の低い人」になって「仕事は何でもうける」ことを実践している。わがままを言わない、電話はちゃんとうける、締め切りは守るといったサラリーマン的なことが大切。
39. 今はシュールな作品がつくりたいのではない。アブストラクト(抽象的)な作品がつくりたい。
40. 自分の中に調教師とケダモノがいる。自分は間違いなくケダモノを重要視する。
41. ハッピーエンドが苦手。ダメな人、破壊的な自分や時代と対峙して“いとおしさ”“エクスタシー”を描きたい。このひとことにつきる。
42. 極端な話、自分の世界を描ける場所なら、どんなメディアでもいい。仕事は断らない。
43. 雑誌『マガジン』や『モーニング』の様な戦いの場では、自分は描けない。弱虫で同時にプライドが高いから。
44. しかしこれを逆に取ると・・・①一部物好きな人たちには受け入れられている。その人たちはメディア関係の人が多く、メディアで取り上げてもらえることが多い。②下手なのは受け入れられているから時間をかけて上手な絵を描く必要がない。③いろいろな作風があってブランドイメージが一定しない。でも好きな絵がいっぱい描ける。
45. 既にあるような漫画を描くのは、資源の無駄。
46. 良い漫画は売れる漫画、は本当かは疑問を持っている。
47. 98パーセントぐらいまでは作品は売れなきゃいけないと思っている。しかし。残りの2パーセントは「売れなくてもこれは捨てがたい」。ここを捨てたら、社会的にも損失。
48. アートの発するニオイが好き。アートには源流がある。そこから流れ出したものでクリエーターがさまざまなものをつくっていく。
49. 真似ることが重要。
50. 自分がどこが悪いかあげてみたりするが、持ち前の面倒くささが災いしてすぐに投げ出す。自分のしていることは間違っていない、とつぶやきながら実は自分のどこが間違っているか分かっていたりする。反省の日々。
51. それでもしりあがり寿がおもしろいのは、彼の線の魅力にあると考える。彼の線は、当たり前だが彼にしか引けない。その線の心地よさというか、微妙な違和感だったり、恐怖だったり、抽象世界への誘いだったりする。
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