平野雅彦が提唱する情報意匠論| 脳内探訪(ダイアリー)

平野雅彦 脳内探訪

革命は文学からしか起こらない  2011/03/26

shii




「娯曲未だ終わらざるに非引忽ちに逼る」
弘法大師 空海の言葉である。喜びの歌がまだ終わらないうちに悲しみの歌が耳に届いてくる。そんな意味だ。
人生とはそういうものだ。あざなえる縄の如し。まず、それを受け入れなさいと空海は教える。未曾有の震災に晒されたこの時期に聞くと、立ち直れないほど辛くもあり、同時に背筋の伸びる箴言とも取れる。

「生れ生れ生れ生れて生の始めに暗く、死に死に死に死んで死の終わりに冥(くら)し」(『秘蔵宝鑰』:ひぞうほうやく) 

「哀しい哉、哀しい哉、復哀しい哉。悲しい哉、悲しい哉、重ねて悲しい哉」(『遍照発揮性霊集』:へんじょうほっきしょうりょうしゅう)

哀しいも、悲しいも、かなしい、と読む。言葉を対比させたり、言い換えたりしながら、意味の奥へと誘っていく。もちろん空海は時の大プロデューサーでもある。大学をつくったのもいってみれば空海だ。だが空海の最大の功績は言語革命だろう。なぜなら、あらゆるものはいったん言語に取り込まれて行くからだ。それを空海はよく識っていた。空海はまさに言葉の人だ。真言の人である。




◆佐々木中の『切りとれ、あの祈る手を』(河出書房新社)を読んで改めて「情報」と「文学」(主に読むこと書くこと)について考えてしまった。
今、佐々木ほど堂々と「文学の力」を云うひとも少ない。某知識人は「言葉が無力な時代だ。だから詩も、広告コピーも力を持たない」と断罪さえする。だが佐々木は、読むこと、書くこと、それ自体が革命だと云う。力強く告げる。「革命は文学からしか起こらない」と。それはイコール「希望」を意味する。
そうして、わたしも実感を込めて云いたい。未だ連絡の取れない東北地方の友人・知人達を想うとき、やはりそこに「言葉の力」「言葉の救い」というものを強く感じる。それは言葉や詩そのものの持つ温度という「救い」である。
わたしは「言葉の力」を信じている。


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