月狂い 〜西行『山家集』から 2011/03/20
行方なく月に心の澄み澄みて 果てはいかにかならんとすらん
ご存じ西行の歌、『山家集』からです。季節は秋なんですけどね。
月を観ているわたしのこころは、澄んで、澄んで、澄みきっています。このまま澄みきって、わたしはいったいどうなってしまうのでしょうか。 西行はそう詠います。
これを悟達へと向かう心象風景の歌だという研究者もいます。わたしにはそれよりも、月狂い、そうして恋の歌にも聞こえます。
もちろん、そういうときには、この歌が詠まれた状況(いつどこで、しかも本当に月を前にして詠った歌なのか)、西行の年譜に照らし合わせればある程度の結論が出るのでしょう。「悟達」はそういった解釈の中にあるのかもしれません。興味のある方は調べてみてください。
でも、わたしはこの歌の前では、もっと手放しでいたいのです。
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