平野雅彦が提唱する情報意匠論| 脳内探訪(ダイアリー)

平野雅彦 脳内探訪

会いたいひとがいる、という中学生Mちゃんのメールに本気でお答えします   2011/01/23

norinagasan





先日もご紹介した中学生Mさんからお返事メールをいただいた(普段は「ちゃん」付けで呼んでいるので、以下敬称含めMちゃんで統一)。
http://www.hirano-masahiko.com/tanbou/1473.html
ご本人にことわり、彼女から頂いた携帯メールをこの場に掲出します。ただし、絵文字はカット。また文中に登場する個人名は伏せ字とさせて頂きます。

「平野せんせ、こないだはわたしのわけのわからない質問に答えてくれてありがとうございました。ブログも見ました。わたしが、なんだかうまく説明できず気持ち悪いと思っていたのは、まさにこのことです。平和の反対は暴力。なんだかハッとしました。今度「戦争と平和」「暴力と平和」について担任の△先生とちゃんと話をしてみます。
ところで話はかわるんですけど、わたしには今直接会って話してみたいと思っている人がいます。それは平野せんせではありません(笑)  平野せんせなら知っているとおもいますが、○○さんです。(※本人を限定する本文一部カット)。今会っておくことがとても重要だと感じるんです。わたしの人生の転機になるような気がします。平野せんせはどう思いますか。今度ミスド、ごちそうしてください」



Mちゃん、メール、ありがとうございました。
会いたいと思ったら、すぐにでもそのひとと会った方がいいとおもいます。会えるかどうかは相手の都合や考え方にもよりますが、Mちゃんは「会うための努力」を今すぐにでもはじめるべきです。きっと、「会いたい」と思う気持ちの「温度」が実際に会えるかどうかの運を左右するでしょう。
出会いはひとを変えてくれます。すばらしい出会いというのは、会う前からその予兆はあるのですが、直接会うことで自分のなかで劇的な変化がおこります。
小倉百人一首にこんな歌があります。
「逢ひみての 後の心にくらぶれば 昔はものを おもわざりけり」 権中納言敦忠というひとの歌です。あなたに会うまではいったい何を考えていたのでしょう(いや何も考えていなかったんだとおもいます)、という歌なんです。わかりますか。
平野せんせもかつては漫画家の○○先生、空手家の○○先生、作家の○○先生、思想家の○○先生などに直接会って、実質的には弟子入りのようなことまでしてきました。そうして師と仰いだひとの箸の上げ下ろしまで真似してきました。でもね、そこで目にするのは、遠くから眺めていることとはまったく違う「生」の出来事です。見なきゃよかったこと、離れていれば知らずにすんだこと、そういうことがたくさん見えてきます、聞こえてきます。直接ひとと会うということはそもそもそういうことなのです。
でもね、そこでとても大切なのは、いったん「人間○○さん」を丸ごと受け入れることです。とにかくぜ〜んぶです。いいとこ取りはいけません。というのはね、単なる憧れは後で大きな落胆に結び付くからです。恨みに変わることさえあります。それは良い関係を生みません。

江戸時代の国学者に本居宣長というひとがいます。伊勢松坂のひとです。名前ぐらいはきいたことがありますか、Mちゃん。今私たちが『古事記』というテキストを、一応すらすらと読むことができるは、実は宣長さんのおかげなんです(「宣長さん」と気軽に呼びますが、平野せんせの友だちではありません)。
このひとは一生をかけて、漢意(からごころ)を強く否定して、古意(いにしえごころ)というものの大切さを説きました。世話に崩して云えば、純粋に日本のことを稽(かんが)えるには日本の源にある日本語できちんと考え直そうという思想です。そうして、『万葉集』の重要性を説きました(もちろん他の古典も薦めているんですけどね)。日本の学問はこのひとから始まったといっても過言ではありません。

その宣長さんには、私淑する賀茂真淵という人物がいました。宣長さんは34歳のとき、生涯にたった一度だけ、真淵先生に直接会うんです。「松坂の一夜」と呼ばれている対面です。そうして宣長さんはこの場で真淵先生に『古事記』の注釈というものに取り組みたいという想いを熱く伝えます。すると真淵先生は「自分もその大切さはよくわかっている。でも、わたしはもうそんなに長くは生きられないから、ぜひあなたにやって欲しい」というようなことを託されるわけです。そう、宣長さんは、たった一度だけ会った師のこの言葉を心の糧に、『古事記』の注釈『古事記伝』を編むことになるんです。『古事記伝』の仕事を終えるのは結局70歳近いんです。すごいですね、「信じる」って。この場合の「信じる」は、師を信じるということと、自分の仕事を信じる、この二つを意味しています。

でもね、宣長さんがすごかったのはここからなんです。
宣長さんは弟子達に切望されて、学ぶとは何か、学問とは何かを伝えるための『うひ山ぶみ』を撰することを果断します(本のタイトル「うひ山ぶみ」は宣長さんによって巻末に添えられた一首「いかならむうひ山ぶみのあさごろも浅きすそ野のしるべばかりも」から採られました)。
この人物にして、今まで学んできたことをきちんと学びの現場にかえすということを実践するんですね。それはね、ちょっとビジネスに成功したひとが知った顔で本を書くのとはわけが違うんです。内容は常に肯綮に中っていて、間然すべきところがありません。ぜひ読んでみてください。
もしかすると多くのひとは宣長さんの成果は『古事記伝』だと評するかもしれません。しかし、兄たり難く弟たり難し、平野せんせはこの本を著したことこそ、宣長さんが残した最大の仕事であり、評価すべき態度そのものだと考えています。

おう、気づいてみたら原稿用紙5枚も書いていました。Mちゃんも宣長さんを見倣い、ぜひ「○○さん」に直接会って良い刺激をたくさん受けてください。そうして、その思い出を大切にしながら生涯を学びのために生きてください。股(もも)を刺して書を読んでください。
なになにMちゃん、宣長さんとわたしとでは、同日の談ではない? いいえ、決して中途半端な気持ちで○○さんに会って欲しくないのです。そういうことです。

それからもうひとつ、きょうはとても大切なことをお伝えしておきます。
お世辞でもいいので、「今いちばん会いたいのは平野せんせです。2番目に会いたいのは○○さんです。」 こう書きましょう。世の中はその方がスムーズにいくということをちゃんと覚えておいてくださいね(笑) 
じゃあね、またね。バイバイ。  あ、ミスド、そのうちごちそうします。





【追記】
中学生Mちゃんを見ていると、あ〜 この年齢からいろいろなことに気づいていてすごいな〜とおもいます。うらやましいけど過ぎてしまった時間は取り戻せません。気づいたときからやるしかない。中学生から大切なことを教わっています。ですから平野せんせは、中学生にも筆をゆるめることなく本気で書きます。



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