文明の速度、という妄想 2011/01/21
爆睡したい平野です(苦笑) まずい、もうこんな時間です。間もなく真夜中の2時です(いつもこれからです)。
いまやっと20日締め切りの原稿が一本仕上がり、無事?メールしたところです。あ、もう21日だ。
編集者のKさん、ご心配かけてすみません(汗)先ほどメールしました。今夜はまだ二本書かなくてはならないのですが、なぜか先ほどから寄り道ばかりしています。はい、寄り道の方が重要な場合もあるのです。
環境問題を考える。わたしはそれを、生活や文明の「速度」を考えることだとおもっている。
速度とは現代社会においては効率と同義である。
二酸化炭素やメタンが必ずしも悪いのではない。それを材料とする生物(この場合には植物)の多様性が失われていることがまずいのである。この多様性を取り戻すには、速度=効率主義をどう考え直すかにある。
速度ということを考えているときに出会った言葉がある。つい先日もご紹介したブルーノ・ムナーリの詩である。
木
それは
たったひとつの種の
ゆっくりとした
爆発
大地をわしづかみにして、地球に割れ目をつくり出す植物のゆっくりとした爆発。その爆発は肉眼では追いきれないほどスローである。この速度と力に倣うことこそ重要なのだ。
昨年ノーベル賞を受賞した根岸英一先生が、次は光合成の研究だと仰っていた。
今われわれには、葉っぱ一枚がおこなう光合成を、葉っぱ一枚大の実験装置で作り出すことはできない。小さな蚊一匹のランダム飛行を、蚊一匹大の人工飛行物体で再現することはまだ不可能である。
そこで必要なのは謙虚さということだ。
そうして、じっくりと植物が爆発するように構えることなのだ。
なにをか言わんや。締め切りに追われながら、「速度」の妄想。
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