平野雅彦が提唱する情報意匠論| 脳内探訪(ダイアリー)

平野雅彦 脳内探訪

映画『ノルウェイの森』を観る  2011/01/13

FM-Hikcakmaru


FM-Hi「ゆうラジ☆Radio魂(ソウル)」にゲストとして呼んで頂く。
パーソナリティは平安時代の○○姫の生まれ変わりというKacomaru。゜さん。 進行役はリアルフードレストラン伊太利亭の圷(あくつ)有恒さん。 そうしてディレクターは若きホープ新貝真美さんという異色の取り合わせ。

この番組、ゲストは「○○の神様」という役で登場。本日は二本分の収録だったが、平野はそれぞれ「時間」と「言葉」の神様役(なんでやねん)。
平野が「神のお告げ」をする時間はわずか10分程度、オンエアはあっという間だろう。放送日は未定。


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tenugui




映画『ノルウェイの森』を観る。小説の方は、20年前にかなり雑に読んで、それっきり。
今回、再読もしないで、雑誌『ユリイカ 総特集 村上春樹』の表紙だけを横目でチラリと眺め、大学の学食でUさんの感想を聴くだけにとどめて劇場へと向かった。

もちろん、原作のある作品を原作抜きで評するのもどうかという厳しい意見をもらいそうだし(というかそんな大上段に構えて書こうとしていない。第一印象のメモだ)、村上作品ではある登場人物が複数の作品にまたがって登場したり、ある意味成長したり形を変えて出てくるため、その多重構造をわかっていないと「わかったつもりになってもらっては困る」と言われそうだし、それを承知で書く。

まず、とてもグラフィカルな映像づくりに新鮮な印象をもった。監督はグラフィック経験者か。わりあい最初の方に出てくる背ビレを水の上に出しながら、それでも泥を掻き分け泳ぐ鯉の姿は60年代を生きた若者のイコンとみた。雨や風の音、そうして障子のカゲの落とし方。ワタナベと緑、互いの背中を追いかけるように部屋の中を回りながら会話を続けるシーン。レコード店店長(細野晴臣)と客との一瞬の目線のやりとり。レイコが最初にワタナベと出会うシーンの煙草の使い方。植物を印象的にインサートしたり、登場人物が向かい合うシーンの多くを横顔アップで撮ったりと、何かと絵づくりが印象深い。
ワタナベの深く傷ついた心は、たとえシーンが変わり時間が経過しようとも、頬についたキズによって、ずっと観る者に「そのシーン」を想起させ続ける効果を持つ。うまい。

もちろん手放しですべてを絶賛するわけではない。キャスティングの一部には不満も残る。だが、小説の細部を忘れることによって映像を観た者にとっては、「小説と照らし合わせながら観るという作業」から開放されたのがよかったのかもしれない。
帰りのバスの中で、Uさんから借りた『ユリイカ』を汚したらいけないとおもい、書店の袋から今日買った本を取り出して、『ユリイカ』と入れ替えようとおもった瞬間、思わず四方田犬彦氏の評を読んでしまった。読まなきゃよかった(笑) もう一度、今度はあえて批判的に観てみようかな。

こんなこと今更云うまでもないことだけれど、最後に一言だけ書いておくと、批判と批評は当然別物である。批判はひじょうに楽である。何かと何を比較して、どっちがいいという二項対立の近視眼でものをみるのはもうやめたほうがいい。



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