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平野雅彦 脳内探訪

梅棹忠夫、大いに・語る   2010/09/24

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『梅棹忠夫 語る』(日本経済新聞社)。読書中、何度もハッとするところがあった。梅棹本は今まで何冊も読んできたはずなのに、改めてこの一冊に正面から立ち向かうと、自分自身とは様々な点で考え方の違いを感じた。
例えば、梅棹は徹底的にオリジナルにこだわる。わたしはオリジナルよりもむしろ、先人への敬意とその方法を真似ることを優先する。そうして、その先のオリジナルを目指す。また、わたしは(できているかどうかは別として)何かにつけ美的に飾ることを好む傾向にある。梅棹は特に文章を書くにあたり「一番いかんのは、美的に飾ることやな。それで、何かいいものができたみたいに思う」(P44)と痛烈だ。耳が痛い。

本書は、聞き役小山修三(国立民族学博物館教授)が2008年2月から、毎週都合15回、梅棹自身に話を聞き、それを掛け合いでまとめたものだ。
梅棹忠夫はご存じ、国立民族学博物館 National Museum of Ethnology の元館長で、論文「文明の生態史観」でつとに知られ、『知的生産の技術』(岩波新書)で一世を風靡した人物だ。本の題名に「知的」と付くのは、この梅棹本から始まった。また、知的と生産と技術が組み合わさることは、当時はひじょうに斬新であったのだろう、特に当時のインテリゲンツィヤにヒットし、瞬く間にベストセラー、ロングセラーへと成長し、京大式ともいわれるようになった。一方で、梅竿はローマ字論者として、物議を醸したこともある。

その梅棹には、語録が多い。本書からランダムに拾い上げればこんな感じだ。

・きれいに描く必要はない。それよりもわかるように描く。(P59)

・ 写真の秘訣は一歩踏み込め、だ。(P65)

・分類するな、配列せよ。機械的に配列や。(中略)大事なのは検索。(P83)

・小山「何となく「引用がなければ言っちゃいけない」という、学問的な鎧はあります。
梅棹「(略)・・・・学問とは、ひとの本を読んで引用することだと思っている人が多い。(略)」(105P)

・ 思いつきこそ独創や。思いつきがないものは、要するに本の引用、ひとまねということやないか。(105P)

・ みんなひらめくけど、とらえることができない。(P107)。

・(掛け合いの相手、小山氏の台詞から)民博では梅棹さんに「学問でさえ、経営なんだぞ、そう考えてやれ」って言われてきました。文部科学省や民間の研究助成、外国の奨学金などをとってくることも含めて、学問は経営にほかならないと。(P111)


挙げていけばきりがない。
なお、一言付け加えておくなら、上に挙げた語録は、あらゆる語録の類がそうであるように、あくまでもある文脈の中で梅棹が発した台詞であるということだ。箇条書きでは、言葉の前後が見えてこない。それを承知で言えば、たったこれだけの氏の言葉を取り上げただけでも異論反論の炎が巻き上がる可能性を秘めていることも事実だろう。




※追記 
そういえば、以前、静岡市に住むわたしが、大阪の国立民族学博物館に打ち合わせに出掛けた際、ある学芸員の方と名刺交換したのですが、その方はわたしが住む同じ町内出身の方でした(驚)。
そのときに民博のバックヤードを拝見したのですが、未整理の資料の類が膨大に眠っていて驚嘆しました。

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